連載「月刊オカモトショウ」 絶対に読むべき80年代の名作SFマンガ、『ワン・ゼロ』について語りたい!

オカモトショウが語る『ワン・ゼロ』の奥深さ

 ロックバンドOKAMOTO’Sのボーカルとして、そして、ソロアーティストとしても活躍するオカモトショウ。実は彼、高校時代から現在に至るまで漫画雑誌を読み続けてきたほどの“漫画ラバー”だ。本連載ではオカモトショウが愛する名作マンガ&注目作品を月イチでご紹介。今回は1980年代の名作SFマンガ『ワン・ゼロ』(佐藤史生)をレコメンドしてもらいました!(森朋之)

『ワン・ゼロ』は内容、情報量、深みもすごい

――今回紹介してもらうのは、『ワン・ゼロ』。作者は2010年に逝去された佐藤史生さん。1984年から86年まで「プチフラワー」誌に連載された少女マンガですが、SFの名作としてカルト的な評価を得ています。

オカモトショウ:僕も読んだのは最近なんですよ。以前、この連載に登場してくれた白石倖介くんに教えてもらったんですが、めちゃくちゃ素晴らしくて。発表されたのは1980年代半ばで、1990年代の終わり頃の日本が舞台。(80年代における)近未来モノなんですが、先見の明というか、もっと先の未来の世界観も描けているし、内容、情報量、深みもすごくあって。

――パソコンやAIも登場しますからね。

オカモトショウ:主人公の友達の家に普通にパソコンがあったり、今の世界に近い雰囲気もあるんですよね。あらすじを紹介すると、メインのキャラクターは高校生4人組で。主人公(明王寺都祈雄/トキオ)が異母妹(摩由璃/マユリ)と出会い、『デビルマン』みたいに神(デーヴァ)と魔(ダーサ)の戦いに巻き込まれるんです。デーヴァの側は世界中を菩薩化して、ニルヴァーナに導きたいんですよ。すべてのカルマが落とされて、業や欲もない世界を実現したいんですけど、それに対して、80’sの欲望剥き出しのキッズたちが「俺たちは絶対に自分たちのカルマをなくしたくない」と戦いを挑む。神たちがやろうとしていることを理論的に崩せているわけではないんだけど、直感的に「それ、ディストピアじゃね?」って。実ははそれって、神話の世界から現代に至るまで、ずっと続いている戦いだと思うんですけどね

――なるほど。この作品が発表された80年代はバブル経済の終わり頃なので、物理的な成功だけではなく、精神的な充実を求める世の中の流れもあって。

オカモトショウ:「何が本当の幸せか?」みたいなことですよね。『ワン・ゼロ』のなかでは、物欲全開だった人が、どんどん菩薩みたいになっていくシーンもあるんですよ。ヒッピーのコミューンみたいなところに出入りして、瞑想マシーンで忘我の境地になって、どんどん言葉も話さなくなって。それもSF作品ではよく出てくるモチーフなんですよね。アーサー・C・クラークの『幼少期の終わり』もそうですけど、人間の次の進化の末に、言葉を話さなくなるっていう。『新世紀エヴァンゲリヲン』の人類補完計画もそうですよね。

――確かに! そんなテーマを80年代に扱っていたのはすごいですね。しかも少女コミック誌で連載していたという。

オカモトショウ:ヤバいですよね。あと、人工知能が魂を持つというエピソードも出てくるんですよ。コンピューターが意志を獲得して、それが神と魔人の戦い、スピリチュアルな世界に影響を及ぼすっていう。後の『真・女神転生』の世界観にも通じるところもあるんですけど、その描き方も本当によくできていて。今だったらAIに関する最新の情報がいくらでもあるし、それをもとにして構成できますけど、80年代はそれができないじゃいないですか。

――想像力の賜物ですよね。

オカモトショウ:そうそう。スーパーコンピューターが作られた理由もすごくて、人間の心のなかに神を探すのが目的なんです。人間の精神をデータ的に分析することで、集合知としての神を見つけるっていう。スピリチャルな世界とコンピューター的な未来が入り乱れているのも非常におもしろいんです。タイトルの『ワン・ゼロ』はコンピューター言語の基本になっている“0”と“1”でもあるし、それが宇宙の真理や魂にも近いと。

――めちゃくちゃ深いですね……。

オカモトショウ:『ワン・ゼロ』には、他にもいろんな意味が込められていると思うんですよ。デーヴァとダーサも表わしているし、兄と妹のことであって。いろいろな二項対立のなかで物語が進んでいくんですよね。「人間は度をこえているのよ! それを“欲(カルマ)”といい“業”というのよ」という説得に対して、「おれは人間以外のものにはなりたくない」と応えるシーンなんて、本当に味わい深いです。

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