『テスカトリポカ』佐藤究×『ルポ 川崎』磯部涼 特別対談 川崎の〝流れ者〟たちが描く世界地図

佐藤究×磯部涼、川崎を語る

「流れ者」が行き着く都市へ

桜本の倉庫前にて。

磯部:『テスカトリポカ』では「血の資本主義(ブラッド・キャピタリズム)」を通して世界地図が描かれ、メキシコとジャカルタ、そして川崎がつながります。一方、川崎区を取材していると、こんな狭い地域でも日本中どころか世界中を旅しているような感覚になることがあるんですよ。


 例えば川崎駅の真ん前に石敢當(いしがんとう)という魔除けの石碑が立っているんですが、それは昭和41年の台風被害で宮古島が地獄にも例えられる悲惨な状況になった際に川崎市議会が救援活動をして、その返礼に送られたものです。川崎区のドヤや路上には沖縄出身の元・労働者もたくさんいて、支援をやっているひとは、連絡がつかなくなったおっちゃんとも駅前の繁華街でやる沖縄祭りに行けば会えると言っていました。

 ここはペルー料理屋ですが、ペルーやベトナムから川崎に働きに来た日系のひとたちの中には沖縄にルーツを持っているひとも多いです。そもそも明治以降、日本から働き口を求めて南米へ渡った移民は同地のひとたちの割合が高かった。そこには沖縄が抱え続ける貧困の問題も関わっています。そしてそのひとたちの後の世代が、1990年の入管法改正で、今度は国内の労働者不足を解消するために呼び戻され、工場の多い名古屋や群馬、川崎にやってくることになった。

 もちろん川崎区には朝鮮半島をルーツに持つひとたちも多いですし、フィリピンからやってきたひとたちもいて、言わば世界が凝縮されています。『テスカトリポカ』は時間的にも距離的にもスケールが大きいですが、『ルポ 川崎』はむしろ小さな街の中でそういうことを描こうと思ったんです。

佐藤:磯部さんの本の中に「川崎は流れ者の街でもある」という1行があったおかげで、川崎が舞台としてハマったんですよ。小さな所でもひとの動きがある。海外からいろんな連中が流れついて集結してしまう。何でも起きるような気がする。説得力があるじゃないですか。

磯部:新しい世代は韓国系とフィリピン系で結婚したり、その中で川崎独自の文化が出来つつある。ペルー料理も中華系移民の影響が大きくて、このチャウファ(ペルー版炒飯)なんかも美味しいですが、そうやって混ざっていくことこそが文化の醍醐味です。

手前の焼き飯がチャウファ。角切り肉がゴロゴロと入っていて食べ応えがある。

佐藤:『テスカトリポカ』を書きはじめた頃、新大久保のコリアンタウンに隣接する百人町に住んでいたんですが、あの街もいろんな国籍のひとが暮らしていますよね。でも飲食業がメインなので、川崎にあるようなガレージや倉庫はないんですよ。友人の丸山ゴンザレスさんの本で知った、外からは見えないヤード(自動車解体場)のような場所はない。雑居ビルの中に店があって、食材の仕入れがあってお客さんが来て、という流れは外からも見えますし。

磯部:ここ(桜本)は新大久保と違って、コリアンタウンと聞いて来てみても、いわゆる韓国系の食品店や飲食店が少ないので「ただの住宅地じゃん」と感じると思うんですよ。新大久保は今や観光地でもあるのである種のエキゾチックな演出がされているわけですけど、ここはあくまでも生活空間としてのコリアンタウンなんですね。でも普通の居酒屋に入ってみるとモツ煮込みが韓国風の味付けだったり、異文化が日本文化に溶け込んでいる。

 『ルポ 川崎』にも出てくる〈ふれあい館〉というコミュニティセンターの元館長の三浦知人さんに、桜本と隣町の池上町をツアーで案内してもらったことがありました。三浦さんの案内を聞きながら歩くと、何の変哲もない住宅街を見る解像度が上がって、まったく別の風景が立ち上がってくるんです。例えば、道端に生えている野草でも、「これは韓国ではキムチにするんだけど、もともとは川崎にやってきたハルモニ(おばあさん)たちが植えたもので、彼女たちは今でも詰んで料理してるんですよ」とか。朝鮮高校の前に公園があるんですけど、昔は朝鮮高校と言えば喧嘩が強いことで知られて、地元を抑えていたから、日本の高校の番長が決まったら挨拶をするためにここに来たんだとか。

日本の抱える問題が凝縮した土地


ーーフィクションとノンフィクションという形式についてはどうでしょうか? 佐藤さんは『ルポ 川崎』を読んだ感想は他にありますか?


佐藤:こういう本こそ芥川賞にふさわしいと思いましたよ。イントロの入りなど文章、文体が素晴らしいです。あと、メッセージ性のあるものは、途中で著者のナルシシズムに入っていくことが往々にしてあるんですが(笑)、磯部さんや丸山ゴンザレスさんの本にはそれがない。いいですよね。自然というんですかね。僕にとってはこういう本のほうが、ある意味で小説より大事なんです。

磯部:『テスカトリポカ』では膨大な参考資料の欄に『ルポ 川崎』も入れて頂いていましたけど、こんなに本のタイトルが並んでいる小説も珍しいと思いました。インタヴューをいくつか読んだところ、コーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』のような小説だけでなく、スコット・カーニーの『レッドマーケット』のようなノンフィクションの影響も大きいと言われていましたね。ノンフィクションがアイディアの発端になることも多いんですか?

佐藤:僕の場合はわりとそうですね。小説よりもノンフィクションを読むことが多いかもしれない。特に短編の執筆だったら、資料の書籍代で赤字になるように心がけてるんです。 本好きとしては、生涯をかけての活字との関わりではやっぱり赤、本を買った総額が、本を書いて得た収入を上回るように目指していかないと(笑)。

 それはさておいて、磯部さんもゴンザレスさんも、情報をとってくるノウハウがあるじゃないですか。僕らが街に潜入しても拾ってこられないものを教えてくれる。それはありがたいですよね。エピソードがひとつあるだけで、小説にリアリティを与えられるので。

磯部:申し訳ないのですが、僕はあまり小説を読むことがなくて、ノンフィクションのほうが圧倒的に多いんです。文章でも映像でも現実を描いた作品が好きなこともあって。でも『テスカトリポカ』は面白くて、一気に読んでしまいました。それは現実との接点が多いからなのかなと。

 物語はメキシコ北西部から始まりますよね。日本で、日本語で書かれた小説で、多くの読者も日本語ネイティヴだと思うので、エキゾチックに感じるひとが多いのではないかと思うのですが、その後、舞台が川崎に移ることでぐっと身近になるのかもしれません。

 抽象的な質問になりますが、〝物語る資格〟みたいなものについてはどう考えていらっしゃるでしょう? ノンフィクションには常にそれが求められるんです。〝当事者性〟と言い換えてもいいですけど。『ルポ 川崎』で川崎を舞台にした時にまず聞かれたのは「川崎出身なんですか?」ということでした。結論から言うと、違うのですが。


 川崎を取材対象として選ぶことになった理由は、まずつまらないことから言うと、通いやすいからです。世田谷区に住んでいて、多摩川を越えればすぐなんですね。単行本の基になった連載期間中は多い時だったら週の半分ぐらいは通っていましたし、終電を逃してもタクシーで帰れる距離です。つまらない理由と言いましたが、経費に余裕がない時代、深い取材をしようと思ったら通いやすいことは重要です。

 もうひとつは、東京近郊に住んでいるひとだったら、川崎は絶対知っていますよね。ただ、かつては〝飲む、打つ、買う〟、あるいは〝公害、移民、ヤクザ〟のイメージだったものの、今は「あの、大きなショッピングモール(ラゾーナ)があるところでしょう」というひとも多いかもしれません。そこで、「ルポ北九州」や「ルポ西成」だと如何にも凄いことが起きそうですが、『ルポ 川崎』というタイトルを提示すると、「え、川崎にルポするようなことがあるの?」と意外性を持ってもらえるかなと考えました。

 『ルポ 川崎』では、再開発のイメージに書き換えられつつある中で根強く残っている〝飲む、打つ、買う〟〝公害、移民、ヤクザ〟という古い、しかし本質的な川崎像を描いているわけですが、それは現在の日本が目を逸らしている問題に迫ることにもなる。要するに、日本で暮らしている人間だったら誰でも当事者になるんじゃないかと思ったんです。

磯部涼『令和元年のテロリズム』(新潮社)

佐藤:今、磯部さんがおっしゃったことは、新たに刊行された『令和元年のテロリズム』にも通じていますよね。あれもすごい本でした。ただ突っ込んで取材するんじゃなくて、立ち止まって自分のことを問いかけながら書く。逆にそれが僕ら読者の側からすると入りやすいし、同じように自分に問いかけることができる。

 スタイルとしては、日本の文芸のジャンルだと純文学がそういう感じなんです。一人称視点で問いかけながら、書いていく。僕は売れなくてエンタメに来る前は、もともと純文学の世界にいたので。

 〝物語る資格〟についてですが、たとえば作家の世界って、基本的に実社会でダメだったひとが流れ着く場所だと思うんです。こう言うと、あとでむちゃくちゃ怒られるな(笑)。まあダメというか、組織で働くのに向いていなかったひとたちということですね。そうじゃなかったら、みんな会社に残って出世しているわけですから。だから、物語る資格も何も、最初から何の資格もないと思いますよ(笑)。条件はただひとつ、読者に退屈させないことだけなんです。おもしろいものを書かないといけない。

 そういう意味では、僕にメキシコやアステカを物語る資格はまったくない。でも極論を言うと、じゃあいったい誰に徳川家康を語る資格があるのかってことですよ。今生きているひとは、誰も江戸幕府には仕えてなかったわけじゃないですか(笑)。

 かと言って、やりたい放題でもなくて、取材しながら街で見かける川崎市長のポスターに何度か手を合わせました。申し訳ございません、たとえフィクションとはいえ、ここを舞台に恐ろしい話をやってしまいますので……と(笑)。

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