『極主夫道』に感じる『ごっつええ感じ』の“ズレ” 作品の強度を高める笑いのメカニズムとは?

『極主夫道』に感じる『ごっつ』の“ズレ”

 おおのこうすけのマンガ『極主夫道』は、笑いの基本にとても忠実だ。

 テレビアニメ、テレビドラマ、さらに実写映画化まで決定し、ファン層を拡大しているが、どのフォーマットに落とし込んでもその魅力を発揮できるのは普遍的な笑いのメカニズムをきちんとおさえた作劇をしているからだ。

笑いの「ズレの理論」

 笑いは「ズレ」ているときに起きる。哲学者のパスカルは、「予期したことと現実に起こるズレや不釣合いによって笑いが生じる」と述べている。また、別の哲学者カントは「緊張した予期が裏切られることで起こる笑い」を論じたことで有名だ。これらの理論は一般に「ズレの理論」と呼ばれている。

 日本のお笑いの基本は「ボケ」と「ツッコミ」だが、「ボケ」とはある状況に対して、多くの人が予想する反応とは違うことをやって笑いをとるものだ。あるシチュエーションに対して、観客は常識的にはこうするだろうという状況で、ボケ役の芸人が予期せぬ行動を取り、それを突っ込むことで笑いが発生する。高度に発達した日本のお笑いの様式には、きちんと「ズレの理論」が確立されており、芸人たちは無意識的に哲学者たちの理論を日々実践している。

 しかし、「ズレ」といっても実際には様々だ。例えば、子どもが車にはねられるというような予期せぬ出来事は笑えない。これは当事者にとってあまりにも有害な事態だし、併発する感情があまりにも悲劇的な方向すぎる。笑いを起こす「ズレ」は笑わせたい対象者にとって起きた結果が多くの人にとって「無害」でなくてはならない。何が無害なのかは時代ごとの社会状況によるので、昔受けていたネタが今は笑えないという事態は頻繁に起こる。ちなみに全人類にとって無害なものはほとんどないので、笑いは文化や時代の感性に大きく左右されやすいジャンルだ。

ヤクザという「親しみやすい」キャラクター

 『極主夫道』は「ズレの理論」を巧みに実践している。とりわけ緊張と無害なズレの結果を対比させるのが上手い。本作の主人公は強面の元ヤクザである。かつては不死身の龍と呼ばれ、恐れられていた彼が、今はかわいい柴犬のエプロンをつけて専業主夫をやっている。これが数々のズレを呼び起こす優れた設定として機能している。

 この作品で面白いのは、ヤクザというものが無害なキャラクター化していることだ。作者のおおの氏は、インタビューで「ヤクザって昔から映画とかマンガにはたくさん出てくるし、日本では親しみやすい『キャラクター』」(https://media.comicspace.jp/archives/15235)と語っているのが印象的だ。

 ヤクザは、現代日本ではほとんどの人にとって実際には遭遇しない架空のキャラクターとなっているので、こうしたコメディ作品に無害なものとして出せるようになったのだろう。そういう意味で本作は、昔受けていたが今は笑えないの逆バージョンで、昔は身近で有害だったので笑えなかったものが今は笑えるほどに距離感の離れた無害なものになった例と言えるかもしれない。

 だが龍の強面の外見は緊張を生み出すのに実に有効だ。例えば、あの出で立ちでスーツの内ポケットに手を伸ばせば、銃を出すだろうと思わせる緊張の後に、スーパーの割引クーポンが出てくるなど、無害な方向に予想外の行動を起こすことでズレが生じ、笑いを生む。

 2巻収録の12話で描かれる、龍が公園のフリーマーケットに参加するエピソードは「ズレの理論」がわかりやすく実践されている。フリーマーケット会場に、猿渡組を名乗るヤクザが「誰に許可得て商売してんだコラァ」と殴りこんでくるところを龍が収める。龍はここで猫ちゃんピーラーを献上して「なんでも剥けるでぇ」と言うのだが、猿渡組の人間はそれを「てめぇ爪剥いだろかって事?」とズレた解釈をすることで笑いを作っている。

 これも読者の視点では、絶対に爪が剥がされるような展開にはならないことがわかっているから笑える。これが本当に爪を剥ぐ展開になったら有害すぎて笑えないだろう。無害な結果になることがわかっているから笑えるのだ。

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