『双亡亭壊すべし』、なぜ“普通の人々”が活躍? 藤田和日郎が表現し続けてきた「作者と読者」の関係性

『双亡亭壊すべし』藤田和日郎が描き続けてきたもの

※本稿には、『双亡亭壊すべし』(藤田和日郎/小学館)の内容について触れている箇所がございます。(筆者)

高橋(留美子)先生の漫画はすべて好きですが、「闇をかけるまなざし」という短編が特にすごくて。「なんだ、普通の人間が怪異に勝つ話を描いてもいいんだ!」って、まさに目から鱗でした。『聊斎志異』や『遠野物語』を好きで読んでいたけど、結局怪異に人間が負けるような話が多い。だから高橋先生の漫画を読んで受けた衝撃は、今、自分で漫画を描くすべての基本になっています。

〜『藤田和日郎本』(小学館)収録「藤田和日郎3万7千字インタビュー」より〜

 これは、以前、私が聞き手として藤田和日郎にインタビューした記事からの抜粋である。また、この他にもこれまで何度か彼に取材させていただいたことがあるのだが、その際に決まって話に出るのが、この、自作において「普通の人間が怪異に勝つこと」の重要性だ。

 たしかに、従来のホラーやSFの漫画に出てくる「普通の人間」たちは、怪物や怪奇現象などに対し、「何もできない無力な存在」として描かれる場合が多かった。そして、そこへ、「普通ではない」能力なり、武器なりを持ったヒーローが現れて、怪異を打ち砕く(あるいは、ヒーローなどは現れず、怪異にやぶれていく)、というのが、その種の(漫画に限らない)エンターテインメント作品の基本だといっていいかもしれない。

 ところが、前述の高橋留美子のホラー短編や、それに影響を受けたという藤田和日郎の漫画では、「普通の人間」が、自分ではない“誰か”を守るために、機転を利かせて、あるいは、火事場の馬鹿力を出して、本来は勝てるはずのない怪異に打ち勝つのだ。藤田の代表作『うしおととら』のクライマックスシーンで、主人公の蒼月潮が、強敵「白面の者」に向かって、「今、オレ達は…太陽と一緒に戦っている!」と啖呵を切る名場面があるが、ここでいう「太陽」とは、もちろん、潮と相棒の“とら”の勝利を信じ、日本各地で「一緒に戦っている」名もなき「普通の人々」のことを指しているのだろう。

凧葉務のがんばり

 さて、そんな藤田和日郎が5年半に渡り描いてきた『双亡亭壊すべし』が、先ごろついに完結した(最終巻となる単行本第25巻は、8月18日に発売されたばかりだ)。タイトルにもなっている「双亡亭」という“お化け屋敷”(入った者は行方不明になるか、精神に異常をきたすという呪われた屋敷)に、複数の超能力者や術師、自衛官や軍人、科学者らが挑むモダンホラーの傑作だが、この作品では、そうした異能者や戦闘のプロとは別に、ふたりの「普通の人間」が、物語を動かすキーパーソンとして描かれている。

 ひとりは、凧葉務(タコハ・ツトム)という無名の青年画家。この、最初は何もできないと思われていた青年のがんばりが、徐々に共闘する異能者たちの心を動かし、バラバラだった一匹狼たちの心をひとつにまとめあげていく。さらに最終局面で彼は、双亡亭の主である呪われた画家と、膨大な量の絵を描きながら「芸術とは何か」という議論――すなわち、「筆と言葉」で対決することになる。

 そして、もうひとりは、立木緑朗という少年だ。実はこの緑朗、他の(どちらかといえば)好戦的なキャラクターたちと違い、終始、客観的な立場で戦闘に関わっていくのだが(注・ただし、中盤以降、彼が物語を動かす場面もたびたび出てくる)、個人的には先に挙げたタコハと同じくらい(あるいはそれ以上に?)、重要な存在だったのではないかと思っている。



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