三島由紀夫『仮面の告白』を今読むべき理由 戦後文学を代表する傑作私小説の多層性

円堂都司昭の三島由紀夫『仮面の告白』評

BL(ボーイズラブ)の基礎教養としての『仮面の告白』

萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)

 一方、最近話題になった萩尾望都『一度きりの大泉の話』には、萩尾が漫画家として駆け出しだった1970年代初頭に、増山法恵から三島由紀夫の『仮面の告白』、『禁色』を勧められて読んだが、よくわからなかったと書かれていた。増山は、『風と木の詩』で少女マンガ界に少年愛ブームを巻き起こした竹宮惠子のプロデューサー的存在だった。

 後にやおい、BL(ボーイズラブ)と呼ばれるようになったジャンルのルーツ的な雑誌で竹宮も中心的な書き手だった「コミックJUNE」(1978年創刊時は「コミックJUN」)には男性同性愛を扱った小説、あるいはそのように読める小説をセレクトした「JUNE文学リスト」が掲載されていた。その日本編の表の筆頭にあげられていたのが、三島の『仮面の告白』、『禁色』である(1979年2月号)。あかぎはるな(やはり中心的執筆者だった中島梓=栗本薫の変名)が添えたその解説文では「稲垣足穂、森茉莉、三島由紀夫、赤江瀑、このあたりには説明など不要」とされ、常識扱いされていた。同誌には増山も対談などで参加しており、三島作品がこの界隈で基礎教養と化していたことがうかがわれる。

「コミックJUNE」(1979年2月号)

「JUNE」が開拓した男性同士の同性愛の物語を女性が楽しむカルチャーでは、同性愛の当事者ではない女性が愛読者になった。考えてみれば『仮面の告白』は、男性に対し性的ファンタジーを抱く男性と、彼がそうであると知らずに(うすうす気づき始めていたのかもしれないが)好意を抱く女性の関係を描いていたのである。また『禁色』(1953年)は、老作家が同性愛者の美青年を利用して女たちへの復讐を企む話だった(ゲイバー、バイセクシュアルも描かれ『仮面の告白』とかなり色あいは違うが)。両作は性愛において相容れないはずの男女の関係をモチーフにしており、それが「JUNE」における物語内の男性と女性読者の関係と呼応していたのは興味深い。教養の基礎として選ばれたのは当然と思える。

 とはいえ、『仮面の告白』は、性的指向についてだけを書いた小説ではない。同作では主人公が読者にむけて同性愛者だと告白しつつ、作中では他者にむけ異性愛者の仮面をかぶり続ける。ただ、その告白にしても、文学や絵画に言及しながら、三島特有の修飾に凝った文体で皮肉な警句をおりまぜて展開している。醜さ、痛さ、滑稽さをさらけ出しているようであると同時に、自己劇化、美化もしている。その意味では仮面を着けている印象だ。

 さらに、主人公が憧れたのは戦って血を流す筋肉質の兵士だが、病弱な本人の体は薄く細く、戦争へも行かなかった。ところがこの小説の作者のほうは、後に体を筋肉質に鍛えて私設の軍隊もどきを結成し、切腹して血を流し死んだのだ。『仮面の告白』時点で憧れ夢想した対象に自らがなってみせた晩年だったことを、次の時代に生きた人々は知っている。嘘を本当にしてしまうこの作家に、嘘の仮面と本当の告白の区別は有効ではないだろう。

 彼と同じく多くの人が、仮面をつけたい欲求と告白したい欲求の両方を抱えているはずだ。しかし、ここまで裸を仮面にする自己劇化に長けた人はなかなかいないし、だから三島の危なっかしい魅力に引き寄せられる。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(青土社)など。

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