中森明夫が語る、アイドルという存在の怖さ 「輝いてるアイドルには強烈なパワーがある」
「おたく」という言葉の名付け親として知られ、ライター・作家・アイドル評論家として、40年近く活動を続けている、中森明夫。80年代には「新人類の旗手」と呼ばれ、テレビや雑誌などのメディアを賑わせていた。また小説家としては、1987年に上梓した処女作『東京トンガリキッズ』(JICC出版局、のちに角川文庫)がベストセラーに、1993年の『瞳に星な女たち』(太田出版)と1988年の『オシャレ泥棒』(マガジンハウス)はそれぞれテレビドラマ化されるなど、ヒットを記録している。また、初の純文学作品『アナーキー・イン・ザ・JP』(新潮社、2010年)は「第24回三島由紀夫賞」の候補作に選出されるなど、文芸界でも高い評価を受けた。
最新作『キャッシー』(文藝春秋、2021年)は、そんな中森による、初の“アイドル”をメインテーマに据えた「アイドル小説」だ。ストーリーは「イジメられっ子のキャッシーこと木屋橋莉奈が超能力を持ち、その力を使って『アイドルになる』という夢を叶えて行く」というもの。アイドルに造詣が深い氏ならではの、リアリティーある描写と、息を尽かせぬ展開で、読むものを引き込んで行く。
アイドル評論の第一人者である中森明夫が、初めてアイドルについて真正面から描いたこの長編小説は、いかにして作られたのか。装画を女優・のんに依頼した経緯、本書を書いた理由、「超能力」が重要なファクターであること、アイドルの持つ“被害性”と“加害性”、宗教とアイドルの関係などについて、 話を聞いた。(岡島紳士)
のんさんが『キャリー』の主人公に似てる、超能力者だなって思った
--本書を手に取った時まず目を引いたのが、黄色い空間に仁王立ちする少女の後ろ姿が描かれた装画でした。この絵は女優・のんさんによるものですが、彼女が描くことになった経緯を教えて貰えるでしょうか?
中森:2018年に開催された、彼女初の個展「“のん”ひとり展 -女の子は牙をむく-」を見に行き、大変感銘を受けたんです。まさに女の子が大きく牙をむいたような、のんさんの内面がストレートに表現されたような内容でした。僕は絵画の専門家ではないですが、強いパッションを感じました。この個展のアートブックを買って帰り、小説を書いてる時に見て、パワーを貰ったところがあったんですね。それと、彼女をインタビューした時に、取材中は訥々としてなかなか喋ってくれない、おとなしい子なのに、いざ演技となると爆発的なパワーを発揮するところが、この小説の題材の1つである映画『キャリー』の主人公と似ているなって思ったんです。「のんさんは超能力者だと思う」と言って『キャリー』の DVDを差し上げたこともありました。だから完成したら、できればのんさんに絵を描いて欲しいと思った。のんさんには取材以外で会ったこともないし、親しいわけでもない。お願いしてやってくれるかどうかも分からない。のんさんっていう人はすごい人だと思ってるから、何かを頼むって、本当ならできないくらいの気持ちなんですよ。でもこの小説は、僕が今までに書いたものの中でもっとも力を入れた最長のものだし、もう61歳でこの先これ以上のものは書けないかもしれない。それで思いきって依頼したんですが、引き受けて貰えて、本当に嬉しかったですね。
--完成した絵を見て、どう思われましたか?
中森:感動しました。すごい! と、鳥肌が立ちましたね。担当編集者からの依頼は「女の子の後ろ姿」というだけだったんです。小説の中で主人公の少女が超能力を発揮する時、目の前が黄色く見える。ただ「黄色い」としか書いてないんです。ところが、のんさんの描いた黄色は実に精妙で複雑で「ああ、こんな黄色だったのか!」と著者である僕が驚きました。ある意味、この小説に対する最大の批評ですね。芸能界で戦っている、のんさんは本当にこの黄色を見たんじゃないかって。
“アイドル”というジャンルを伝えるために、小説を利用する
--本書を書くことになった理由、きっかけ、経緯を教えて頂けますか。
中森:作家・アイドル評論家と名乗ってるからには、いつか「アイドル小説」を書きたいって、ずっと思ってたんですよ。7年前に「小説すばる」(集英社)の当時の編集長の高橋秀明さんに「究極のアイドル小説を書いて下さい」って言われて、ずっと待っててくれたんですが、2014年に亡くなられてしまったんです。途中まで書いていたその原稿を文藝春秋さんが引き取ってくれて、完成させましょうということになったのが経緯です。
--どのような内容を目指されたのでしょうか?
中森:アイドル小説というと、朝井リョウの『武道館』、綿矢りさの『夢を与える』、80年代でいうと小林信彦の『極東セレナーデ』など、優れた作品があります。それにNEWSのメンバー・加藤シゲアキの『閃光スクランブル』、乃木坂46の高山一実の『トラペジウム』など、現役のアイドルが良質のアイドル小説を書く時代ですよね。そのうちアイドルでも文学賞を獲る人が出て来ると思います。僕が書くと、当然アイドル自身が自分の体験を元に小説にするようなものにはならない。長年アイドルを見て来たアイドル評論家である僕が書くなら、「小説がアイドルを利用する」のではなくて、「アイドルというジャンルを伝えるために小説を利用する」という形になります。だから個別のアイドルを描くんじゃなくて、「アイドルというジャンルの起源から未来までを描く長編を書きたい」と思い、それを目指しました。
あとは「指原莉乃がもし超能力者だったら」という仮定を設定し、キャリー+さっしー=キャッシ-、とネーミングしたのが出発点です。指原莉乃というアイドルは、AKBの総選挙を三連覇してアイドルの意味を変えた存在でもあります。アイドルというジャンルを語る時に絶対に考えないといけない対象なんだけど、それを評論ではなく小説という形で書いてみたかった。とはいえ、実際のさっしーではなく、架空のキャッシーいう人格を描けたと思います。
“被害者”ではなく“加害者”としてアイドルを描いてみたい
--「超能力」を重要なファクターに選んだ理由を、もう少し詳しく聞かせて貰えるでしょうか?
中森:アイドルの魅力って、歌手に比べれば歌が、ダンサーに比べればダンスが、それほど上手いわけではない子が多い。グループで一番美人な子が一番人気になるわけではない。アイドルファンじゃない人にとっては、アイドルの何がすごいのか分からないと思うんですよ。その“何か”の比喩として、超能力を選びました。アイドルというのは超能力者なんだと。その一番端的な例が『キャリー』なんです。普段はいじめられっ子で暗いんだけど、超能力を使ってラストのカタストロフィーを起こします。
--たしかに『キャリー』もアイドル的な側面があるかもしれないですね。
中森:最後の舞台に立つ場面って、すごくアイドルっぽいと思わない? それと『キャリー』もそうだけど、『極東セレナーデ』も『武道館』も『夢を与える』も、何かしら親子関係にトラウマを持った少女なんですよ。後者3作は「1人の無力な少女が芸能界に入っていって一旦は栄光を掴みかけるんだけど、最後に仕掛けられたスキャンダルによって没落する」っていうストーリーなんです。やっぱり物語の定型っていうか、面白いものを作ろうとするとこうなるんだなっていう。無力な少女が芸能界というシステムの中で生きて行くと、アイドルの描かれ方として、どうやったって“被害者”っていう形になりますよね。おじさんプロデューサーやおじさんオタクが少女を搾取している、っていう観点。少女というものがどこか守られるもので、システムがそれを利用している、っていうような形です。でも、僕はもうそれは書きつくされたと思った。“アイドル”の持つ、もっとデモーニッシュな部分、保護対象ではない、強烈なパワーとかそういうものを、小説の力にしたいって思ったんです。それにさっき言ったように、「小説がアイドルを利用」するんじゃなくて、「アイドルというジャンルを表現するために小説を利用」したかった。だからやっぱり、“被害者”としてアイドルを描くんじゃなくて、“加害者”としてアイドルを描いてみたいって思ったんです。アイドルがやられるままになってるんじゃなくて、アイドルが芸能界及び世界を破壊するっていうかね。
--アイドルの加害性に着目したっていうのは面白いと思いました。
中森:怖い存在ですよ、やっぱりアイドルって。かつてアイドルの周辺をくわしく取材している記者の方に聞いたんですが、有名アイドルの地元での評判が凄く悪かったりするんですね。同級生に話を聞いてもろくなことを言わないんだって。もちろん嫉妬もあるでしょうが、なんだか輝いてるアイドルっていうのは、もしかしたらかつての同級生の何人かを殺してるようなものなのかもしれない、と。それくらい強烈なパワーがある。実際、同じグループ内でも競い合ったり裏切りがあったりするわけですよね。そういう怖さ、パワー、というものが、アイドルにはあるという側面も描きたかった。