寡作の鬼才漫画家・多田由美ーー長編『レッド・ベルベット』のアメリカン・ニューシネマ的センスを考察

鬼才・多田由美の“映画的”な感性

 多田由美という漫画家をご存じだろうか。1986年、『ウォーレンの娘』でデビュー、アメリカを舞台にした、絵的にも内容的にも異様に完成度の高い短編の数々で知られる鬼才だが、とにかく寡作ゆえ、いまの若い漫画ファンにとってはあまり馴染みのない存在かもしれない。だが、彼女をリスペクトする同業者は、80年代から現在にいたるまで後を絶たず、たとえば、最新作の単行本のオビでは、江口寿史、上條淳士、寺田克也、皇なつき、村田蓮爾、おかざき真里、羽海野チカ、オノ・ナツメといった錚々たる顔ぶれが賞賛の声を寄せている。

 削ぎ落とされたネームによる洒落た会話劇、リアルな画(え)作りと巧みなカット割り、そして、青春の蹉跌と希望が交差するストーリー展開など、彼女が描く漫画はまるで良質な映画のようだ。無論、「映画的」ということでいえば、いまの日本の漫画家の多くは、多かれ少なかれ、モンタージュをはじめとしたいわゆる「映画的手法」を作品に取り入れてはいるのだが、多田の場合はそういう技法的・理論的なことではなく、つまり、頭で考えたというよりは「素」の部分で、「映画的な感性」が身についているのだと思われる。

 さて、そんな多田由美が、実はこの1〜2年、“本気”を出している。先に書いた「最新作」というのがそれで、『レッド・ベルベット』というタイトルのその作品は、先ごろ完結――「多田由美史上最長」の全3巻の物語となった(そもそも3巻どころか、「続き物の2巻」が出た段階で、多田由美ファンの間ではちょっとした“事件”であった)。

 『レッド・ベルベット』は、2018年から2020年にかけて、「月刊モーニングtwo」にて連載された、アールとランディというふたりの青年の物語だ。アールは、亡き母のケーキ店を再開させようとしてレシピを集めており、一方のランディは、窃盗団との関係を断ち切ることができず、日々悩んでいる。家が隣同士で幼なじみだったふたりは、子供の頃からずっと支え合って生きてきたが、ある時、アールはランディが犯罪に関わっていることを知ってしまい……。

 通常、いわゆるバディ物では、静と動、あるいは、陰と陽といった、異なるタイプのキャラをふたり立てるものだが、あえて、本作で多田は同じような、傷つきやすい(だが親友のためには危険を顧みない)キャラをコンビとして設定している。これはどういうことかというと、おそらく作者は、タイプの異なるふたりがタッグを組んで何かを乗り越えていく物語ではなく、離ればなれになっていた半身がふたたび巡り会い、共に懐かしい場所へと還っていくような物語を描きたかったのではないだろうか。

 いずれにせよ、不穏な空気や虚無感が物語全体を覆っている作品ではあるが、そのラストは、ことのほか明るい。先ほど私は、多田の漫画をまるで映画のようだと書いたが、厳密にいえば、それは60年代末の若者たちを熱狂させた「アメリカン・ニューシネマ」ということになるだろう(実際、1・2巻のオビのアオリでも、その言葉が使われている)。

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