まつもと泉は「ラブコメ漫画の開拓者」だったーー永遠の名作『きまぐれオレンジ☆ロード』の功績
80年代に一世を風靡したラブコメ漫画の名作『きまぐれオレンジ☆ロード』の作者・まつもと泉が、10月6日に亡くなっていたということが、先ごろ公式サイトにて発表された。
もともとはロックミュージシャンを目指して上京したというまつもとだったが、1984年、『週刊少年ジャンプ』にて『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載を開始。どちらかといえば男臭い硬派な漫画が主流だった同誌に、新しい、そして爽やかな風を呼び込んだ。
ラブコメ漫画を求めていた層の開拓
折しも時代はラブコメブームのまっただなか。ブームの最初の火つけ役は柳沢きみおの『翔んだカップル』(1978年連載開始)だったといわれているが、その他にも、『うる星やつら』(高橋留美子)、『みゆき』『タッチ』(ともにあだち充)、『さすがの猿飛』(細野不二彦)、『The♥かぼちゃワイン』(三浦みつる)、『さよなら三角』(原秀則)といったラブコメ要素の強い話題作が各少年誌で次々と生み出されていた。そんななか、『週刊少年ジャンプ』だけは頑なに硬派路線を貫いているようにも見えたが、やはり時代の流れは無視できなかったのだろう。『ストップ!! ひばりくん!』の江口寿史や『ウイングマン』の桂正和、『キックオフ』のちば拓、そして、この『きまぐれオレンジ☆ロード』のまつもと泉といった、ラブコメ(さらにいえば可愛い女の子)を描くことが出来る若い才能を、徐々に“主戦力”として起用していくことになる。
その結果、従来の硬派路線を愛読している層だけでなく、ラブコメ漫画を求めていた新規の読者をも開拓でき、『週刊少年ジャンプ』の発行部数は1988年には500万部を越え、さらには1994年、伝説の653万部という怪物的な数字を叩き出すことになるのだった。無論、一連のラブコメ漫画の力だけで500万部(あるいは600万部)を越えた、とまではいうつもりはないが、それでも、まつもと泉の同誌における「ラブコメ漫画の開拓者」としての功績は、計り知れないものがあったといっていいだろう(なぜならば、『きまぐれオレンジ☆ロード』のシリーズ累計発行部数は2000万部以上であり、間違いなく同誌の部数激増の原動力のひとつにはなっているのだ)。
また、現在出ている『週刊少年ジャンプ』をパラパラとめくってみれば、いわゆる萌え系やアニメ風の絵柄の美少女が出てくる作品が何本か掲載されているのがわかるが、そうした漫画が同誌に存在しているのも、まつもとらが80年代半ばに切り開いた、硬派路線に対するライト路線ないしポップ路線があったからこそ、といえなくもない。