岡崎京子『危険な二人』で描かれた、女性同士の「シスターフッド」的関係性

岡崎京子『危険な二人』で描かれた、女性同士の「シスターフッド」的関係性

 羨望、共感、憎悪、親愛、連携。岡崎京子は一貫して女性間の関係性を描いてきた漫画家と言えるだろう。

 中でも女性同士の連携、シスターフッド的な関係性を描いているのが『危険な二人』だ。

深く傷ついた経験のある人間の胸に突き刺さる

※本記事には作品のネタバレが含まれています。

 『危険な二人』は女詐欺師コンビの友情を描いた同名ドラマにインスパイアされた、三部構成の作品で、どこか牧歌的な雰囲気と軽快な台詞回し、そして初期から中期の岡崎作品の魅力が詰まっている。

 主人公は二人の女子大生。当時の言葉で言えばいわゆる「イケイケ」だが本当は恋愛経験がなく今だに少女漫画のような恋愛を夢見ているセーコと、大人しいようにみえるがすぐに男性と関係を持ってしまうヨーコ。正反対の性格のセーコとヨーコだが、同じ女子大で出会った親友同士で今はルームシェアをしている。そんな二人の夢は「ステキなダーリン」に出逢うこと。

 主人公二人の設定からもわかるように、危険な二人には異性間の恋愛というモチーフが頻出する。だが、この作品の本質はセーコとヨーコの唯一無二の関係性にある。

 二人は毎晩のように遊びに出かけ、大学でも一緒。「毎日がサマーキャンプ」のような楽しい日々を送っている。男性との交際スタンスで揉め、初めて部屋で取っ組み合いの喧嘩をした後、私たちもうおしまいね……と泣きながら言い放つヨーコの姿はメロドラマさながらだ。

 セーコはヨーコを失った悲しみからやけ酒をしたり、ヨーコは喧嘩のきっかけになった恋人に抱かれながらセーコがちゃんとご飯を食べているか心配したりと、お互いのことが頭から離れずに仲直りする。

 第一章から二人の関係性は非常に親密に描かれる。

 セーコはヨーコのことをわたしのサリー(セーコが憧れる少女漫画のキャラクター)かもしれないと、ヨーコはセーコによって解放されたと思っていると描写されていた。皮肉なことに二人が引き裂かれるのはステキなダーリン(と思わしき人物)が現れた時なのだ。

 今後の展開を省みても「素敵なダーリン」がいないほうがセーコとヨーコの人生はうまくいくように思える読者も多いだろう。二人(特にセーコ)とも素敵なダーリンに幸せしてもらうというファンタジーを内面化している側面もあった。

 二人の求める幸せはどこまでが二人の意思なのだろうか。仮に求める幸せが社会からの刷り込みだったとしてもそれを追求することは悪いことなのだろうか。この記事を書くにあたり頭から煙が出るほど考えたが、それだけは答えが出なかった。

 男女雇用機会均等法が制定されてがら数年あまりという時期に執筆されたこともあってか、女性の自立に関するジレンマに関しても描かれる。

 二人は女性の自立に関しても全く違う考え方だ。セーコはできれば働きたくない。好きな男性がいるなら、何もいらない思っている。ヨーコは、男性に頼る女性と男性としか関係が築けない自分が嫌で女子大学を選び、キャリアウーマンに憧れながらも恋人に尽くし、ごはんを作ってあげたいと葛藤していた。

 第二章では、初恋に浮かれるセーコと、生活のためにアルバイトを続けるヨーコとの間に溝ができる。しかも、その相手がひどい別れ方をしたヨーコの元恋人であることが分かり二人の関係は決裂。行き場をなくしヨーコはすがるように元恋人と復縁するが、彼との間に望まぬ妊娠をし、恋人は無責任に姿を消してしまう。

 中絶経験があり、もうあんなことはしたくないけど、一人で子供を育てることはできないと絶望したヨーコは自ら命を絶とうと思い、最後にセーコに電話をかける。セーコはいままでのいざこざも忘れ、ヨーコの元にかけつける。死なないでと懇願し「二人でママになろう パパなんてどーでもいーじゃん」と伝えた。

 キャリアウーマンに憧れてきたヨーコにとって望まぬ妊娠が、どれほど絶望的なことだったのかは計り知れない。セーコは少女漫画のような理想を捨て「ハハ」として生きていく決心をした。

 二章は幸せそうに子供を抱くセーコとヨーコの絵で終わるが、その一ページ前に書かれたモノローグ「そんでもって まぁ いろいろあったけど(しかも超メンドーなことばっか)」の重みがのしかかる。

 子供を育てるようになってから二人の関係性は安定していたが、今度は「フツウ」という言葉に振り回されることになる。

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