『君の膵臓をたべたい』と『青くて痛くて脆い』の共通点は? 住野よるが描く“後悔の苦み”

『青くて痛くて脆い』身勝手な主人公を考察

それでもやはり『キミスイ』の作家が書いた――「過剰」な作品である

住野よる『君の膵臓をたべたい』

 もちろん身勝手な主人公が攻撃してスッキリしておしまい、とはならない。『青くて痛くて脆い』には、「現実的であること」(妥協)を嫌悪する青臭さを抱えた人間たちが、理想だけでは生きられないことを噛みしめる苦さがある。青春の蹉跌とも言えるし、ある意味では近代文学的でもある。

 その後悔の苦みは『キミスイ』に通じている。『キミスイ』でも『青くて痛くて脆い』でも、住野よるは「人によって見えている世界が違う」ことを描く。主人公は他者と本気で対話することを通じてやっとその事実に気づき、驚き、悔やむ。

 そして住野よるは、「人によって見えている世界が違う」ことを体験させるために、読者に叙述トリックを仕掛ける。読者が見えている世界と、作中人物が見えている世界だって違うのだ。その手腕もまた、やはり『キミスイ』と同じ作家の手によるものだと思わされる。

 人間関係には「ないものねだり」と「似た者同士惹かれ合う」の両面があり、はじめは「自分とは違うからこの人のことが好きだ」と思っているが、最後には実は「似ていたんだ」と気付いていく物語であるという点もまた、『キミスイ』と同じだ。住野よるの人間関係観がよく表れている。

 もちろん『キミスイ』と違うところだっていくつもある。ただ最大の違いは『キミスイ』以上に「過剰」な作品である、という点だと私は思う。鑑賞後には賛否どちらでもあっても、必ず何か言いたくなる。何かが残る。読後に身近な人間関係について、考えたくなる。

 そういうものを求めている人にはぜひ読んでもらいたいと思う。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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