魚喃キリコが描いた、90年代の東京で生きた「わたし」 『魚喃キリコ未収録作品集』を読む

魚喃キリコが描いた“時代”に触れる作品集

わたしの仕事は、白を黒で汚すこと。
真白な誰かを、もしくはわたし自身を、汚すこと。
愛しながら、とてもとても愛おしみながら。
(「わたし。」より,『魚喃キリコ未収録作品集【下】』(東京ニュース通信社発行/講談社発売)収録)

 90年代から'00年代にかけて、若い女性を中心に絶大な支持を受けた漫画家・魚喃キリコの、単行本には収録されていない作品を集めた『魚喃キリコ未収録作品集』上・下巻(東京ニュース通信社発行/講談社発売)が、17年ぶりの作品集として5月22日に発売された。今年3月、過去作品9冊が限定新装版として復刊すると共に、魚喃キリコ本人による解説本『魚喃キリコ作品解説集』(東京ニュース通信社発行/講談社発売)も発売されたこともあり、近所の本屋の書棚の一区画が魚喃キリコで埋め尽くされていて、思わず足を止めてしまった人もいるのではないだろうか。

 学生時代から20代にかけて魚喃キリコワールドにどっぷりと溺れたことのある人は、これを機にもう一度読み返してみるのも面白いだろう。

 魚喃キリコは、自分自身の経験を漫画の中に閉じ込めるように描いていた。彼女の物語に多くの人が心を震わせずにはいられないのは、彼女が描く、上京し、90年代の東京で小さな愛を頼りなげに抱いて生きる「わたし」の姿が、魚喃キリコ自身だけでなく、多くの同時代を生きた「わたし」たちの姿と重なるからではないだろうか。頁を捲れば、きっと「あの時のわたし」と出会える。あの時の、辛く切ない、どうにもできない感情と出会える。それは90年代、'00年代に限らず、今、登場人物たちと同世代の若者たちも同様だ。

 3年前の映画『南瓜とマヨネーズ』(富永昌敬監督)のヒロインの心情に、多くの20代女性が悶えたように、彼女が描く「オンナの人生」には、震えるほどの共感と、儚いほどの憧れがある。

 『魚喃キリコ未収録作品集』上・下巻は、月刊漫画『ガロ』(青林堂)に掲載された1993年のデビュー作『HOLE!!』のみならず、デビュー以前の作品から、未完の連載作『ハイタイム』、休筆に至るまでに描かれた複数の短編等の未収録作品を辿ることによって、魚喃キリコの軌跡を楽しむことができる2冊になっている。

 怖いぐらいの濃淡で表現する鮮やかさ、毒々しさに目を奪われる初期の筆致が、後半にさしかかるにつれて、より繊細さを帯びた美しい線になっていく様は興味深く、下巻に収録されている、魚喃キリコ作品では珍しい、カラーのイラストレーションはファン必見である。

 また、愛犬にまつわるエピソードを描いた『うちの犬らぶらぶ日記』や、酔って前歯を折ってマスク生活を強いられてもポジティブな姿が衝撃的な『ナナナン。』等のエッセイも楽しい。

 興味深いのは、上巻で垣間見ることのできる、魚喃キリコ作品の登場人物の分身たちの姿である。

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