魚喃キリコが描いた、90年代の東京で生きた「わたし」 『魚喃キリコ未収録作品集』を読む

魚喃キリコが描いた“時代”に触れる作品集

 まずは、市川実日子、小西真奈美で映画化もされた『blue』。同級生の女の子への憧れともどかしく淡い恋心を抉るように描いた傑作だ。ただ好きになった子が同性だったというだけで、不安定で繊細な、それでいて爆発しそうな心情は、だれしも通ってきた思春期特有の感情を思い出さずにはいられない。年上の男性に恋をした少女と、その少女に恋をしている少女の物語。

 自身の女子高在学時代の実体験をベースにしているという物語の原型とも言える少女たちの姿を垣間見ることができるのは、上巻掲載の未発表作品『fault』、そして後日談とも言える、1995年発表の『すべては壊れるためだけに』である。『fault』のヒロインは卒業式まで「好き」という感情を胸に抱いたまま、表に出せずにいる。魚喃の体験により近いのはこの『fault』 なのではないだろうか。

 『すべては壊れるためだけに』は、高校時代に好きだった子を忘れられないまま上京し、寮生活を始めた「桐島カヤコ」の物語。1997年に発売された『blue』のヒロインの名前が「桐島カヤ子」であることから、1995年の時点で、魚喃の中で「キリシマカヤコ」は既に生まれ、物語よりも先の人生を歩んでいたということになる。

 次は、臼田あさ美、太賀(現・仲野太賀)で映画化もされた『南瓜とマヨネーズ』の断片。登場するのは、上巻掲載の『大好きなチャリ男』。発表された年月は初出に記載がないため定かではないが、ヒロインが恋焦がれる、「毎朝8時15分に必ずすれちがう」チャリ男こと「ハギノマサフミ」は、『南瓜とマヨネーズ』でヒロインが忘れられない昔の男「ハギオ」を思わせるキャラクターだ。

 『大好きなチャリ男』にはチャリ男とヒロインと、ヒロインの同僚しか登場しないのにも関わらず、チャリ男の部屋の中に漂う「オレンジのにおい」だけで別の女性の存在を感じさせる手腕は素晴らしい。

 『南瓜とマヨネーズ』のハギオは「情なんかいっしょにいれば誰にだってわく」と言い、『大好きなチャリ男』のハギノは「情ってゆっても、それって同情かもよ?」と突き放す。一つところに留まることのできない、情で「繋ぎとめる」ことができない男ほど、女が執着せざるを得ない存在はない。

 冒頭に引用した、魚喃が自分自身について語った言葉は、身を削るように、人生全てを注ぎ込むようにして描いてきたのだろう、あまりにも真摯な彼女の漫画そのものである。読者は、彼女の生み出した作品を辿ることで、魚喃キリコ自身の人生を垣間見る。だからこそ、続きが読みたい。40代になったヒロインの、新たな恋物語を。魚喃キリコの本当の意味での新作を、待ち望んでいる。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住。学生時代の寺山修司研究がきっかけで、休日はテレビドラマに映画、本に溺れ、ライター業に勤しむ。日中は書店員。「映画芸術」などに寄稿。

■書籍情報
『魚喃キリコ未収録作品集』上・下巻
著者:魚喃キリコ
発行:東京ニュース通信社
発売:講談社
発売日:2020年5月22日※一部、発売日が異なる地域あり
定価:本体1,500円+税
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000343388

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