『ハイパーハードボイルドグルメリポート』上出遼平が語る、テレビマンの矜持 「安易な物語に矮小化したくない」

『ハイパーハードボイルドグルメリポート』上出遼平が語る、テレビマンの矜持 「安易な物語に矮小化したくない」

 海外の少年兵やマフィア、カルト教団などに接近し、その食生活に迫るというかつてない切り口で注目を集めたグルメ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(テレビ東京系)が、同番組のプロデューサーを務める上出遼平氏によって書籍化された。

 本書では、番組で大きな反響を呼んだケニア最大のゴミ山で暮らす青年との出会いの背景で、どんな心の交流があったのかなどの裏話だけではなく、上出氏が街についての鋭い考察を述べたり、番組では快活に振舞っていたように見えた台湾のマフィアの態度について、マスコミが喜ぶような「マフィア」を演じていると感じたことなど、上出氏のテレビマンとしての姿勢や考え方も示されている。番組が描き出した光景はあくまでも一部であり、現実は多面的であることを改めて著したという意味でも、ノンフィクションとして一読の価値がある一冊と言えるだろう。

 同企画が生まれたきっかけや、番組を制作する上で大切にしていたこと、コロナ禍で改めて抱いた問題意識などを、上出氏本人に語ってもらった。(編集部)

人を「疑う」ことの重要性

上出遼平『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(朝日新聞出版)

――上出さんは『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を始めるときに、なぜ「食べる」ことを題材に選んだのでしょうか?

上出 理由は3つあります。1つは、僕が番組を作るとしたらシビアな問題を扱うことになるから、バラエティとして成立させるにはクイズやグルメといった方向性があると思ったこと。2つ目、グルメにしたのは、地球上すべての人間の数少ない共通点だから。それまでにもいろんなところに行って、「飯」って面白いしクリエイションがあるなと思っていたし、それを見せるだけで面白いしエンタメになると考えました。3つ目は、番組にしても書籍にしても「報道」にはしたくなかったんです。なぜかというと、「この国でこんなことがあって原因はこれです」という見せ方にするよりも、そこに住んでる人の声をちゃんと聞きたかったし、パーソナルなものをドキュメントにしたかったんです。今、良質のドキュメントは長期の密着をすることが重要と言われているのですが、それは金銭的にも人員的にも難しいし、取材対象にそれを求めるのも無理だろうと思いました。そうなったときにどうやって1日で本音を引き出せるかと思ったら、同じ釜の飯を食うことだと思いました。3つの理由がぴったり重なって、やりたいことを「飯」がやらせてくれるじゃないかと。

――確かに、そうやって同じ釜の飯を食ってるからこそ、人との距離感が縮まっていると思いました。でも、別のインタビューで上出さんは、前提として「疑う」ことが重要とも言われていて、すごく意外な感じがしたんです。

上出 基本的にあらゆることを信じやすい性質なんですが、この業界に入ったときに先輩に「人を信じるな」と叩き込まれたんです。それって、海外ロケがどうこうではなくて、安全に放送するために必要なことで、僕が会社に入ってから10年も経ってないですけど、そのころは今よりも過酷な現場で、みんな追い詰められていて、必要な素材がないのに「ある」って言ったりすることもあって。そういうときに、責任がある立場の人間は状況を正確に判断しないといけない。じゃないと放送事故になる可能性があるから。だから安全のために「疑う」ということがまず必要というのがあったんです。海外ロケはもっとシビアですけどね。

――命の危険にも繋がったりしますしね。そんな中で、正反対のことも存在してると思うんです。例えば上出さんは『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のディレクターを選ぶときには、「優しい」ことが条件だとも言われていて。でも「疑う」ことと「優しい」ことってまったく繋がらないことでもないのかなって。

上出 難しいけど、必ずしも相反することでもないのかもしれないですね。僕が言っている「優しさ」というのは、自分の弱さとか無力さについて客観的に自覚しているということ。こういう業界にいると、どうしても居丈高になって取材対象者と歪な関係性になってしまう。そんなことになったら、この番組の出発点にも立てないから、それだけはやめてほしいということです。自分は万能でもないし、なにかを生み出す創造主でもないし、カメラを向けてる相手の物語を作り出す人間でもない。そして自分が日本のシステムの中に生かされていることも自覚して、その上で過酷な状況に生きている人とちゃんと向き合えば、その人をリスペクトせざるを得ないと思ったんです。それが番組の最低限の出発点です。そういう意味では自分の「弱さ」を知る「強さ」を持ってることが「優しさ」だと思っています。それでもなお疑わないといけないと思うんですけれどね。だって、何かを信じるほうが楽ですから。信じることって、甘えることや期待することとも繋がっているし。

――自分を過信しないことが上出さんの言う「優しさ」なんだと思うと、周囲に対しても、自分に対しても、同じように「疑う」ことをしてるんだなと思いました。

上出 そうですね。それはめちゃくちゃあると思います。疑う対象をひっくり返すと自分に向きますね。自分を疑うことから、自分の無力さや至らなさに行くから、「優しさ」の起点には「疑う」ということもあるかもしれないですね。

――昨今は「疑う」ことよりも、無条件に「信じる」ことの価値のほうが神聖視されすぎている気がします。

上出 人は楽な方に流れるということの典型かもしれません。疑うのって本当に疲れるし、脳みそのリソースを使っちゃうから、できれば疑わないようにはしたいですよね。人は疑う必要のない世界を一生懸命作ってきたはずなんですから。

――ここにきて一気に疑わないといけなくなってる気がします。

上出 日本が抱えてきた問題や、蓋をして見て見ぬふりをしてきた問題があぶり出されてきましたね。

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