『ハイパーハードボイルドグルメリポート』上出遼平が語る、テレビマンの矜持 「安易な物語に矮小化したくない」
人はわかりやすい物語に流れる
――本書の冒頭のリベリア編で、リベリアの人たちが陰暴論を信じてしまって、西洋医学を信頼してくれなくなるという部分を読むと、コロナ禍での状況にもつながるなと思えてきて。世界中の問題を見てきた上出さんは、今の状況をどう見ていますか。
上出 難しいですね。リベリアはエボラ出血熱がまん延した土地で、陰暴論が根深く残っていることを目の当たりにしたんです。人間はわかりやすい物語にどうしても流れていってしまうんですよね。世界のあらゆる局面で、火種になっているのが「わかりやすい物語」じゃないかと思うんですけれど、西洋の陰謀であるとか、生物兵器だという物語があると人は飛びついてしまう。コロナに対する反応を見ても、そういうことが起こっているのかなと思います。
――実際にインドやインドネシアでも、医療従事者が襲われるという出来事がありました。しかも、この本を読んだら、そう考えてしまう背景も見えてしまうから、上から「それはいけないんだ」と押し付けるだけではどうにもならないとも思えてきて。
上出 まだ自分の中で整理できていないことなんですが、「わからない」という不安感がどれだけ人の判断を誤らせるかが大前提にあって、今のように世界中のどこにも正解といえる情報がない不安の中で、「強烈なシャブ」みたいなものが与えられると、ぶわっとそこに飛びついてしまうということはあるでしょうね。
――「わかりやすい物語」は「強烈なシャブ」のようなものでもあると。
上出 それと、日本は「わからない」への対応が未成熟だとも感じています。他の国では「わからない」ことに対して誠実というか、不明だという前提で事を進めようとしているけれど、日本には「わからない」ことが許されない空気感があって。でも、わからないなりの対応をすることが知性的なことなのに、それができないからその場しのぎで決めつけてはひっくり返し、決めつけてはひっくり返しが繰り返されて、不信感と不安感が募っているように思います。
――わからなくても答えを求められる空気は日常生活でも感じることがありますね。
上出 そうですよね。僕は、ハンセン病の話をよくしてるんですけど、病について知らないことで差別を生んでいて、世界中で同じようなことが起こっているんです。ハンセン病はすでに分析されていて、感染力や発症力の弱さもわかっていて、特効薬の開発も進んでいるのに、いまだに差別され続けている。それは社会構造やメディアの怠惰の結果でもあるとは思います。それに対して、コロナはまだあまりにも不明な部分が多いので、人々が混乱するのも理解できるのですが、やはり想像力が欠如していると感じることは多いです。地球全体が共同体であるという前提が失われてるということを改めて実感してしまいました。
――共同体というと、上出さんの本は、ケニアやロシアやリベリアで、それぞれの共同体がどうあったのかを記録したものでもあると感じました。ケニアでは、ジョセフという青年が出てきて、孤軍奮闘しているようにも見えましたが、ケニアの共同体に関してはどう思われましたか?
上出 ケニアのゴミ山でも、共同体は存在していました。常に切迫していて、明日生きるために助け合わざるを得ない状況がありますから、そのための構造はあるはずです。ジョセフは家族と離れて一人っきりな状況ではありましたけれど、友人はいましたからね。それでいうと、リベリアの少年兵の共同体もパワフルでした。内戦で殺し合いをしていた人たちが、共に生きようとしているんですから。あの中で誰かが飢えて死んでしまうことはあまりないでしょう。
――興味深かったのは、そういう各国の共同体の中にはリーダーがいて、そういう人と話をつけておけば、絶対に危険な目にはあわないということ。それを見て「強いリーダー」を今の日本に求めるのは怖いし違うと思いますけれど、共同体の中にそういうリーダーがいることは必然なんだなとも思えて。
上出 そういう共同体でリーダーが選ばれる過程と、日本でリーダーが選ばれる過程が違いますからね。僕が見てきたのは、属している人たちが自ら選んだコミュニティだし、そのリーダーは明らかにタフな人であるという明確な選ばれ方をしていました。もちろん、謀反が起こることもありますし、信用できない人が長くリーダーで居続けることはないでしょう。内戦もリーダーに対しての不信から起こるわけですし。