村上春樹が描く「異界」のルーツを辿る ノンフィクション『猫を棄てる』の読み方

『猫を棄てる』村上作品のルーツを辿る読書

 本書『猫を棄てる 父親について語るとき』でまず注目したいのが、その成り立ちだ。『文藝春秋』2019年6月号が初出であるノンフィクションの書籍化にあたっては、イラストレーター・漫画家の高妍(ガオ・イェン)による挿絵が加わることで作中に広がる世界をイメージしやすくなり、サイズは新書判とコンパクトな仕上がり。版元である文藝春秋の特設サイトでは感想文コンテストが行われたりと、まだ村上作品に馴染みのない層を意識しているだろう、手の取りやすさと興味の引き方が印象的だ。

 そんな本書で〈父親に関して覚えていること〉という書き出しから語られるのは、語り手の〈僕〉こと村上春樹が知る、亡き父・村上千秋の人生であり彼との思い出である。〈僕〉がよく覚えていること、その1つがかつて猫を棄てようとした時の光景だ。小学校低学年くらいの頃、飼えない事情でもあったのだろうか、〈僕〉は父と共に1匹の雌猫を捨てるために海岸へと出かける。〈かわいそうやけど、まあしょうがなかったもんな〉と、猫を置いて帰宅する親子。すると家には、棄てたはずの猫が習性からか先に戻ってきていた。そこでの父の〈呆然とした顔〉と〈やがて感心した表情に変わり、そして最後にはいくらかほっとした顔〉は忘れがたいものがあった。

 こうした何気ないことが記憶に残るほど穏やかな日々も、不穏な非日常の世界と無関係ではなかった。〈僕〉がよく覚えているもう1つのこと、それは毎日朝食の前に父が菩薩を収めたガラスケースに向かい、長い時間お経を唱えている姿だ。習慣の理由を父に聞いてみる〈僕〉。すると、〈前の戦争で死んでいった人たちのため〉〈そこで亡くなった仲間の兵隊や、当時は敵であった中国の人たちのためだ〉という答えが返ってきた。

 浄土宗の寺の次男として1917年に生まれ、20歳で徴兵されて中国に渡った彼が何を見て何を思ったのか。わずかに知っているのは父がある日〈僕〉に打ち明けた、自分の所属する部隊によって捕虜の中国兵が処刑された時の様子だ。この話を聞いた当時を〈僕〉は、こう振り返る。

いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの擬似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ

 この言葉から思い浮かぶのが、「異界」だ。

 これまで村上春樹の小説で、非日常の世界は「異界」として表現されてきた。たとえば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でクローゼットの奥に広がる、人間の腐肉や腐ったゴミを食べて生きる邪悪な生物「やみくろ」が住む地下世界。『1Q84』で高速道路の非常階段を降りると出現する、巨大な力を持つ善悪不明の存在「リトル・ピープル」によって、月が2つになるなど不可解な現象が起きている1Q84年の世界。異界に足を踏み入れてしまった主人公たちは、迫りくる脅威を克服するもしくはそこから逃れることで、何とか生還しようと試みる。村上が「ひとつの情景」「疑似体験」として受け止めた父の回想は、このような村上作品における異界のルーツに思えてならない。

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