葛西純自伝連載『狂猿』第9回 大日本プロレス退団と“新天地”ZERO-ONE加入の真実
デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』
大日本プロレス退団の真実
俺っちは、デビューしてから大ケガとかしたことがなかったから、よくプロレスラーが「膝に爆弾抱えている」とか言ってるけど、どういう感覚なんだろうって想像がつかないくらいだった。その日は、カネの面であまりテンションが上がらないままWEWの川崎大会に出場した。俺っちはポイズン澤田さんと組んで、相手はバイオモンスターDNAと怨霊さんという、割とコミカルなタッグマッチだったと思う。その試合中に、怨霊さんの低空ドロップキックが俺っちの膝にたまたま変な角度で入ってしまった。その瞬間、ブチブチって音がして、えげつない痛みが走ったんだけど、今までそんな大ケガをしたことがなかったから「ちょっとひねったな」くらいの感覚だった。試合もそのまま進んで、普通にジャーマン・スープレックスとかパールハーバー・スプラッシュを出したりしたから、お客さんにも気づかれなかったと思う。
試合が終わって、片脚を引きずりなから控室に戻ってきたら、当時『FIGHTING TV サムライ』のディレクターをやっていた人から「葛西くん大丈夫? ちょっと歩き方が変だよ」って声をかけられた。「大丈夫です。明日も新川崎で大日本の試合があるので、とっとと帰って、寝て起きれば治りますよ」と返したんだけど、その人が「いや、これは普通じゃないよ。病院に行った方がいいよ」と言ってくれて、自分的には行くつもりはなかったんだけど、一応見てもらおうみたいな感じで病院に行った。適当にシップでも貰って帰ろうなんて思いながら診察を受けたら、先生が「『前十字靱帯断裂』と『内側靭帯断裂』です。手術が必要なので、試合は1年ぐらい休まないといけないですね」と言われた。そんな大ケガだったのかよってショックを受けながら会場に戻ったら、WEWのオーナーだった冬木弘道さんが待ってて、「おまえ大丈夫か?」って心配して声をかけてくれた。
俺っちが「手術して、1年ぐらい欠場しなきゃいけないみたいです」と言ったら、冬木さんは「ウチの大会でのケガだから、治療費は俺が面倒を見るよ」と、すごく男気のあることを言ってくれた。でも、俺っちは冬木さんに治療費を出してもらうのも筋違いだなと思って、「自分は大日本プロレスの所属なので、その辺は小鹿に面倒を見てもらいます。気持ちだけ受け取ります」と言って帰った。
戻って小鹿さんに相談したら、「ほぉーそうか。治療費も手術代も入院費も出すから、おまえはゆっくり休んでいればいい」なんて言ってくれてたんだけど、結果的には貰えなかった。そりゃそうだよ。選手に給料もまともにあげられていない団体が、これから休むという人間に入院費だの治療費なんて出せるわけがない。ここはもうカミさんに甘えるしかないと観念して、入院して手術を受けることにした。
病院のベッドの上で、カミさんから「いろいろリセットするタイミングかもね。大日本で自分が置かれている境遇を、今一度見直すべきなんじゃないの」とか言われて、さすがにちょっと考えた。手術はうまくいって、退院して自宅療養しながらリハビリの日々が始まった。医者からは1年ぐらい試合はできないと言われてるから、「このまま大日本にいても給料をもらえないままだし、どうしたもんかな」なんて思ってたら、大日本から呼び出しがあって、事務所まで行って登坂さんと話をすることになった。
俺っちはもうストレートに「未払いもあるし、いま試合もできなくて欠場中なのに給料ください、とも言えないから……辞めさせてください」と言った。登坂さんも「そうだよね、申し訳なかったね」というトーンで、お互いに「まあしょうがないよね」みたいな感じで、葛西純の大日本プロレス退団が決まった。いまから考えると、この頃は大日本プロレスそのものがいつ潰れるか、という状況だったから、団体側も選手が一人減って良かったぐらいの感覚だったのかもしれない。
ただ、俺っちは、ケガしようが、大日本プロレスを退団しようが、プロレスそのものに対する情熱が薄れることはなかった。どこのリングでもいいから、絶対に復帰して、また試合で暴れまわりたいということしか考えてなかった。