数人の主人公を両立して描く、藤田和日郎の見事な手腕 『双亡亭壊すべし』は最高到達点か

『双亡亭壊すべし』レビュー

 「今、オレ達は…太陽と一緒に戦っている!」ある少年は人差し指を高く天に突き立て、世界を滅ぼしかねない最凶の大妖怪と、怪獣映画さながらの空中戦を繰りひろげる。またある少年は、人類の天敵である禍々しき自動人形とその破壊者たちとの数百年にわたる戦いにケリをつけるため、すべてを投げうって宇宙へ飛び立つ。そしてもうひとり。フィクション、すなわち「物語」そのものの運命を背負ったある少年は、愛する女性を救うため、現実とおとぎ話を超えたメタフィクションの世界で奮闘する。

主人公がひとりとは限らない

 その「少年」たちの名を、順に、蒼月潮(『うしおととら』)、才賀勝(『からくりサーカス』)、岩崎月光(『月光条例』)といい、彼らの生みの親は、いわずと知れた少年漫画の巨匠、藤田和日郎である。藤田は1988年のデビュー以来、一貫してこうした熱量の高い少年を主人公にして、個性的なバトルアクションを描き続けてきた。

 だが、そういう情熱的な少年を中心に置いて物語を展開させていくという漫画作りは、別に藤田の専売特許ではあるまい。そもそも少年漫画とはそういうものであるといっても過言ではない。では、藤田和日郎の漫画のどこが個性的なのか。誤解を恐れずに断言させていただけば、それは、「主人公がひとりとは限らない」という点にある。

 そう。上記の作品のうち、『月光条例』だけは別だが、ほかの2作、『うしおととら』と『からくりサーカス』については、主人公の少年とほぼ同格の存在が、ひとりないしふたり登場する。たとえば前者では妖怪の“とら”が、後者では、武術家の加藤鳴海と人形使いの“しろがね”が、それぞれの主観で物語を動かしていく。

 これは漫画の作り方としてはなかなかトリッキーなものではないかと思うのだが(何しろひとつの物語の中で主観が分散してしまうので、下手すると読者の視点がばらばらになってしまう)、そうしたこちら側の勝手な心配をよそに、藤田和日郎は毎回、職人技ともいうべき見事な手腕で、それぞれの主人公たちの複雑な物語をまとめあげるのだった。

 そして現在、彼が『少年サンデー』で連載している『双亡亭壊すべし』にいたっては、驚くなかれ、なんと主人公は物語開始時で4人。さらに現時点では、6人のキャラクターが「ほぼ同格の主人公」として物語を動かしている。これは、いわゆる「群像劇」とも、また、『ジャンプ』系の漫画によく見られる、トーナメント戦のバトルの回では、(本来の主人公ではなく)「いま戦っているキャラ」が主役になるという展開とも違って、あまり他に類を見ない漫画の作り方だといえよう。

 さて、『双亡亭壊すべし』は、いまどき珍しい「お化け屋敷」を舞台にした怪談である。主人公は、先に述べたように、まずは4人。語り部である売れない画家の凧葉務、身体をドリルに変形させる謎の少年・青一、双亡亭の敷地内にある家に引っ越してきたがために運命を狂わされた少年・緑朗、そして緑朗の姉であり、「刀巫覡(カタナフゲキ)」と呼ばれる巫女の紅だ。この4人がすべて登場したところで、第1話は終わる。つまり藤田は、「今回の物語の主人公はこの4人でいく」ということを最初から読者にわかりやすい形で提示してくれる。

 では、「双亡亭」とは何か。その昔、綿糸紡績業で財を築いた坂巻家の遺産を受け継いだ「坂巻泥努」という画家が建てた奇怪な建築物のことであり、内部に足を踏み入れた者のほとんどは、死ぬか精神に異常をきたすことになる。その屋敷の超自然的な恐ろしさを知っている現首相と防衛大臣は、あるとき周りの反対を押し切って双亡亭を空爆させるも、結局、傷ひとつつけることができなかった。

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