小学校からの英語教育に現場は混乱……『小学校英語のジレンマ』が浮き彫りにする問題点

『小学校英語のジレンマ』レビュー

 2020年4月から小学校5・6年で英語が「教科」になる。これまでも授業で英語を扱う時間はあったが、この春から成績が付くようになる。

「日本の英語教育を受けても全然話せるようにならないからダメだ。もっと小さいころから英語に触れさせた方が身につく」
 
 といった声は大きい。小学校からの英語必修化はこうした流れを汲んだものと言える。

「英語がより身につく」という根拠なしに決まった必修化

 ところが、実は小学英語の導入に関して、英語教育の専門家からは従来、否定的な意見または慎重論(賛成はするが条件付き)が目立っていた。というのも、英語習得において重要なのは始める「時期」ではなく英語への「接触量」(学習量)であり、週1~3時間程度の英語学習を早期に始めたところで、始めなかった人たちと比べて中高以降の英語の成績にはそれほど影響がない(良くて偏差値1~2上がる程度)――これが英語教育界では周知の事実だったからだ。

 ただでさえブラック労働と言われている小学校教員に、新たな負担をかけてまで、あるいは新たに予算を割いてまでやるべきことなのか、やったとして十分な結果が得られるのか、得られてもたかが知れていてコスパが悪すぎないか……というわけで英語教育に精通している人にこそ、慎重論ないし反対派が少なくなかった。

 賛成派も「早くから勉強すれば英語が身につく」という理由よりも、「国際感覚が身につく」とか「コミュニケーション能力向上につながる」といった理由を挙げることが多かった。文科省も、英語が専門の専科教員を十分に付ける予算がないことなどを現実的に考え、慎重な姿勢を長く続けてきた。

 ではなぜ急に教科化が決まったのか? 昨今のコロナ対策をめぐる動きと同じだ。「官邸」が主導となり、学術的なエビデンスを無視し、開示されない不可解なプロセスを通じて、トップダウンで決めたのだ。

「英語教育学」ではなく「社会学」の視点から見た英語教育政策

 『小学校英語のジレンマ』はそこに至るまでの歴史的な流れを紹介し、さらに小学校英語をめぐる問題が「あっちを立てればこっちが立たず」という風に絡まり合い、なかなか身動きが取れない状況にある(まさに「ジレンマ」の中にある)ことを示していく。

 これまで刊行されてきた小学英語本の多くは「英語教育学者」によるものだが、本書は日本の英語教育政策・制度を研究する「社会学者」によるものだ。つまり英語教育を社会的な条件から眺めてみることで、学習指導要領だけを見ていては理解できないマクロの流れを捉えることに主眼がある。

 これによって、ようするに今回の小学英語の教科化は経団連から「英語教育なんとかせい」と言われてきたので、例の「やってる感」を出すために官邸主導で決められたわけだが、それによって文科省がなんとかがんばってこれまでの政策と整合性を取るための理屈を苦し紛れに編み出し、しかし教育現場は混乱している、といった構図が手に取るようにわかる本になっている。

官邸主導の政策あるあるの「専門家の軽視」がここにも……

 本来は教科化するのであれば、日本で小学校英語を導入した群と導入していない群を追跡調査してその結果、導入した群の方が英語の成績が伸びる傾向が見られた、といった「根拠」となる調査があってしかるべきだが、当然ない。

 「現状の英語教育に課題がある」ことが前提になっていて、その打ち手として「小学校英語を教科化すれば打破できる」という理屈なのだが、打ち手として本当に有効なのかという検証が一切されていない(やろうと思えば調査は可能だったのにやらなかった)。

 本書は冷静な筆致で書かれており、決して政権批判を声高に叫んでいるわけではないが、読んでいるこちら側は、ふつふつと怒りが湧いてくる。コロナに関しても英語教育に関しても、とにかく、現政権は、政策の意思決定に関する専門家の知見の軽視、根拠なき判断、事前にも事後にも理由の説明が不十分な決断だらけなのだということが改めてわかるからだ。

 もちろん、本書評で取り上げたこと以外にも、「小学校英語教育」と聞いて思いつくであろう論点は一通り網羅され、根拠のあるものに関しては俗論をエビデンスで否定し、根拠がない(調査・研究がない)ものに関しては「ない」と書いてある。

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