葛西純自伝『狂猿』第5回 九死に一生を得た交通事故、あのときプロレス界の歴史は変わっていたかもしれない

葛西純自伝『狂猿』第5回

葛西純自伝『狂猿』

1度だけプロレスを辞めようと思った

 新人時代、プロレスに関して心が折れるようなことはなかったんだけど、1度だけ「辞めようかな…」って思った出来事があった。

 デビュー間もない、10月か11月くらい。大日本プロレス名物の北海道巡業があって、結構な連戦だった。釧路で試合をして、苫小牧だか小樽のフェリー乗り場を目指して、俺っちたちは宣伝カーに乗って移動していた。運転は俺っちで、助手席に藤田さん。後ろの席にまだ入門して間もない伊東と、当時のリングアナの鈴木が乗っていて、その後ろの荷台に本間さんが寝転がっていた。まだ冬本番前だからか、その宣伝カーはノーマルタイヤで、日勝峠という所を一生懸命走ってたんだけど、だんだん雪が降りだして、気がついたら吹雪になっていた。

 ノーマルタイヤだし、ヤベーなと思いながらも前に進むしかないから、スピードを遅くしながら山を登って行ったら、横風がバンっと吹いて、車ごと持っていかれて、道路は道路でアイスバーンなんでそのままスピンして、対向車線のガードレールにバコーン! と、ぶつかってしまった。まぁ、結構な事故だよ。今でも鮮明に覚えてるけど、スピンしてる間はスローモーションにみたいな感覚になって、助手席の藤田さんがバッと起きて「マッサン何やってるの〜?」って叫んだ。当時の俺っちはムキムキのマッスルボディだったから、マッサンって呼ばれてたんだよね。

 ガードレールにぶつかってから本間さんも飛び起きて、「どうした!」と、まだガラガラしてない声で叫んだ。「本間さんすいません、事故っちゃいました…」って謝ったら、「起きちゃったものは仕方ねえよ」って落ち着いて話してくれた。

 車のなかで、とりあえず警察を呼ぼうと相談してたら、対向車線からトラックがブワーッと走ってきて、俺らの事故ったクルマをみてブレーキかけたんだけど止まらなくて、けっきょくウチらの車に派手にバコーンとぶつかってしまった。うわあってみんなで飛び出して、寒いなか外に出てブルブル震えながら警察が来るのを待った。

 宣伝カーは当然のことながら廃車。小鹿さんはもうカンカンなわけだよ。俺っちは「やっちゃったな」と思ったけど、怒られるのは本間さんばかりで、なぜか俺のことは咎められなかった。

 でも、自分のなかでは車を1台廃車にしたっていう気持ちがあるんで、その日の夜に本間さんに「責任とってやめます」って言ったんだ。そしたら本間さんは「んなもんノーマルタイヤで北海道走らせる会社が悪いんだよ。葛西が責任感じることなんてないよ」。「せっかくプロになったんだから、こんなことでやめるな。これからもっと辛いことあるんだから、こんなことでプロレスラーの道諦めるんじゃねえよ」って言ってくれて、それで救われた。

 本間さんは本人は、そんなこと覚えてないって言うだろうけど。

 まぁ、あのとき、車がそのままガードレールを飛び越えて谷底にでも落ちてたら、日本のプロレス史に葛西純、本間朋晃、藤田ミノル、伊東竜二の名前は刻まれなかったかもしれないね。


■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。
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