葛西純自伝『狂猿』連載第2回 勉強も運動もできない、不良でさえもなかった”その他大勢”の少年時代

葛西純自伝『狂猿』連載第2回

デスマッチファイター葛西純 自伝『狂猿』

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアの中で、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

第1回:デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃

時代はアイドルブーム、最強タッグのポスターが……

 転校みたいな形で小学校に入学して、それなりにうまくやってたけど、まわりにプロレスファンはいないし、わりと孤独な小学校生活だったかもしれない。家では絵を描いてるか、プロレスのこと考えてるか。それ以外は、2歳年上の姉ちゃんとずっと一緒だった。ウチの両親は共働きで、しかも土日まで働いてたから、休みの日はずっと姉ちゃんと一緒に家で留守番みたいなことが多かった。姉ちゃんは俺と違って行動的だったから、いろいろ教えてくれるんだよ。


 姉ちゃんが小学校の高学年くらいになったとき、世の中がアイドルブームになったんだよ。マッチ、トシちゃん、聖子ちゃんって出てきて、例外なく姉ちゃんもアイドル好きになった。テレビで『ザ・ベストテン』とか『トップテン』が始まると、ラジカセにテープを入れて、マイクをテレビのスピーカーにくっつけて録音してたね。そのうち、姉ちゃんが「純もアイドル好きになれ」って言ってきた。俺っちはプロレスにのめり込んでるから「アイドルなんていいよ」って言うんだけど、雑誌をめくりながら「どのコがいい?」って聞いてくるんだよ。めんどくさくなってきたから、何気なく目についた早見優を「強いて言うなら……」って指さしたら、「よしわかった」と。その翌日、姉ちゃんは帯広の街に行って、早見優がビキニ姿で写ってるでっかいポスターを買ってきて、「純、これプレゼント!」って渡してくる。「いやいや、いらないよ」って言ったんだけど、「いいから貼りな!」って、俺っちが気に入ってた部屋に貼ってた 81年の『全日本プロレス 世界最強タッグリーグ戦』のポスターを剥がして、早見優のビキニのポスター貼られたってことがあったね。まぁ、それぐらいプロレス好きで、女の子には興味がなかった。でも、ちょっとした初恋というか、ビビっとくることはあったよ。

 俺っちは、小学校4年生の途中で引っ越すことになって、また帯広市内の違う小学校に転校することになったんだよ。転校初日、みんなの前で先生から「今日からこのクラスになる葛西純くんです」って紹介されて、めちゃくちゃ緊張して。そういう時って、クラスのみんなが同じ顔に見えるもんなんだけど、そこで、なんか1人だけ光輝いてる女の子が一番前の席に座ってるんだよ。俺っちの目には、漫画で出てくるようなキラキラがついてるようにみえるくらい可愛くて、その瞬間にもうゾッコンになった。まぁでも、その頃の俺っちは行動に移すようなタイプではなかったから、ただ見てるだけで何もせずに卒業の日を迎えたんだけどね。

 やっぱり、小学校のときに転校が2回あったせいで、前に出ないというか、要領のいい性格になったと思う。自分からは何も主張しないでクラスの雰囲気に合わせるというか、流れをみて振る舞うようなタイプだったね。ケンカもほとんどしたことない。取っ組み合いになったことなんて、小さい頃の2、3回ぐらいしか記憶にないね。プロレスラーになってからの俺っちの試合スタイルを見て「葛西は昔は相当悪かった」とか、「小さい頃からクレイジーだった」とか想像するかもしれないけど、全然そんなことなかった。勉強ができるわけでもなければ、飛び抜けてスポーツができるわけでもない。それで不良ってほどの悪さをすることもなかったから、ホントに「その他大勢」というポジションだった。

 ただ、絵を描くのは得意だったから、図工の時間はちょっとだけヒーローになることもあった。葛西は絵が上手いって、みんなが見に集まってきたりね。絵では何度か賞をもらったことがあるよ。いちばん覚えてるのは、小学校5年生の時に、地元の「十勝毎日新聞」っていう新聞で芸能人の似顔絵募集みたいなのがあって、それに研ナオコの似顔絵を描いて応募したら入選したんだよ。友達も騒ぐし、「純ちゃんすごいね!」って親戚から電話がきたりしてね。でも、なんであのとき研ナオコの絵を描いたのかは、よく覚えてないんだけどさ。

母親と見た『食人族』の記憶

 あとは、ちょっとホラー系というか、不気味な絵もよく描いてたね。その頃、怖いマンガが流行ってて、日野日出志先生の『蔵六の奇病』とかをよく読んでたんだよ。日野先生の絵柄は不気味でえげつないんだけど、妙に心惹かれるものがあって、それを真似て描くわけだよ。そんな絵ばっかり描いてたら、また母親が心配して「ウチの純が血だらけになった人間の絵ばかり描いてるんだけど、大丈夫かしら」って、担任の先生にまで相談しちゃってね。そしたら先生がホームルームの時に「葛西くんのお母さんが『純が家で血だらけの絵を描いている』と非常に心配してます。なので、学校で葛西くんが血だらけの人間とかを描いてるのを見かけたらやめさせましょう」ってみんなの前で言っちゃって、クラス全員から血だらけの絵を描くのを止められるハメになったこともあったよ。

 マンガだけでなく、怖いモノは好きだったね。当時は、夏休みになると『あなたの知らない世界』という心霊番組がやっていて、それをいつも姉ちゃんと一緒に観てた記憶がある。あとは、テレビでやってた『悪魔の棲む家』とか、そういうオカルト系の映画を真剣に観てたね。昭和の時代のテレビは、のどかな番組を観てても、いきなりホラー映画のCMが入ってきたりするんだよ。不気味な音楽で、「えぐる!」「食べる!」「串刺し!」なんて出てきて、これはすごい、この映画を観に行きたい!って訴えて、母親と一緒に『食人族』を映画館に観に行ったこともあった。小学生にはちょっと刺激が強くて、さすがにちょっと具合悪くなったね。

 怖いものは好きだし、不気味なマンガも好きなんだけど、実はオレっち、どちらかというと「血」が苦手なんだよ。その当時、俺っちがよく読んでたマイナーなプロレス雑誌は、流血した試合とかのセンセーショナルな写真が多くてね。「木村健吾、メキシコ遠征で血ダルマ!」とかそういう記事を読んで震えてたよ。髪切りデスマッチで敗れて、血だらけでバリカンで髪を刈られてる健吾さんの写真をみて、自分がプロレスラーになってもメキシコだけには絶対行きたくないなって思ってたね。まぁ、後にそんなモンじゃ済まないくらいの試合を自分がするようになるんだけど。

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