藤ヶ谷太輔、指先で表現する“三十代の色気” 小説『やめるときも、すこやかなるときも』の描写を読む

藤ヶ谷太輔は三十代の色気をどう表現?

 藤ヶ谷太輔主演シンドラ『やめるときも、すこやかなるときも』(日本テレビ)が始まった。深い時間に始まる、落ち着いた大人のラブストーリーである。1話冒頭、寝ている女性の片足の上を、藤ヶ谷演じる壱晴の細長い親指と小指がしゃくとり虫のように艶やかに動いて、ベッドに横たわる彼女を採寸する。彼の職業は家具職人。主にオーダーメイドの椅子を作っている。

 女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞した『ミクマリ』でデビュー、それを収録した『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞を受賞と、数々の賞を受賞している窪美澄による原作小説の書き出しはこうだ。

「目を開けて、まず視界に入ってきたのは白い背中と、右の肩甲骨の下にふたつ並んだ小さなほくろだった。その背中には見覚えがない」(『やめるときも、すこやかなるときも』,窪美澄,集英社文庫,p.5)

 それだけで引き込まれるものがないだろうか。窪美澄作品における男性像はいつも溺れるほどに魅力的だ。映画で永山絢斗が好演した『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)の主婦と関係し続ける斉藤くんは、一見ごく普通の高校生で、いかにも子供っぽい一人称から始まるのだが、助産院で母親と2人暮らしという生活環境のためか、マッサージに長けていたり、さりげなく女性を労わる能力が自然と備わっていたりする。『よるのふくらみ』のヒロイン・みひろを巡る兄弟もまたそうだ。正反対の性格だが、共に優しく、激しさを内に秘めるみひろを時に戸惑いながら、優しく受け入れる。

 だが、それらの男性像は皆、窪作品が常にどこか湿り気を帯びた、人間そのものが持つ激しさや歪みを描いた作品ゆえに備わっているものだとも言えるだろう。窪作品は、登場人物たちの心の奥底に潜む、自分ではどうにもならないドロドロした「やっかいなもの」、つまりは恋愛感情、性的な感情を抉り出す。そして、そこに潜む自らの過去や血の濃さに震え慄きながらも、それを肯定し、前に進んでいく登場人物たちの姿を描く。だからこそ、「卵子に突き動かされる」(『よるのふくらみ』,新潮文庫,p.50)「まるごとごろんと生々しい女」(同著,p.69)という言葉そのまま、基本的に女性は抑えきれない感情に突き動かされる能動的な人物であることが多い。そのため、相手役である男性陣は、それを受け止めるだけの度量と優しさと、繊細さ、時にそれを受け流したりもする冷徹さも持ち合わせていなければならない。

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