藤ヶ谷太輔、指先で表現する“三十代の色気” 小説『やめるときも、すこやかなるときも』の描写を読む
一方、窪作品では切っても切れないはずの主人公2人の性愛描写を一切排除した異例の純愛小説『やめるときも、すこやかなるときも』はどうか。本作は、過去に起きたとある事件がきっかけで心に傷を負い、1年のうち数日間だけ声が出なくなるという病を抱えた家具職人の壱晴と、困窮する実家を支え、恋とは縁遠い人生を送ってきた会社員・桜子が偶然出会い、互いの欠落を埋めるように不器用ながら歩み寄っていく物語である。
この須藤壱晴という男、冒頭で前述した箇所のように、家具職人という職業柄、一夜を共にした女性の身体のサイズを指で測る癖がある。そしてそれを、身体にぴったりとあった椅子作りに活かしていくのである。指の綺麗な男に女が惹かれずにはいられないのは世の鉄則だが、その手つきのしなやかさに焦点が当てられる、家具職人という職業が持つエロティックさというのは、壱晴の師匠である哲先生を元祖色男・火野正平が演じていることからも想像に難くないだろう。
壱晴は、一見女泣かせの軽くて冷たい男だ。だが、その一方で、不器用で真っ直ぐな桜子に対して真摯に向き合おうとする姿はどこまでも優しい。そしてその心の奥底には、誰にも触れさせたことがない、深く哀しい過去が潜んでいる。ミステリアスな30男の色気を、ドラマでは藤ヶ谷太輔がどう演じてくれるのか。期待せずにはいられない。
原作とドラマの違いとして、気になる点が1つある。ドラマでは26歳の設定になっているが、ヒロイン・桜子は、原作では32歳の設定である。だからこそ、一人称による独白として静かに語られる、結婚や処女であることに対する焦りや諦め、切迫感にリアリティがあり、すんなりと主人公の気持ちを理解することができた。だが、映像であるために一人称が使えないこともあり、ドラマは桜子を、同僚の結婚式場で自嘲気味に大声で嘆き、彼氏の家の玄関の前で土下座して叫ぶなど、結婚と恋愛に必死すぎる、元彼が言う通り「重く」ネガティブ発言ばかり繰り出すキャラクターとして描いていた。
奈緒という眼差し一つで感情が洪水のように溢れ出る稀有な、20代前半の女優が全身を使って演じているからこそのキャラクター造形であるとも言えるだろう。ドラマオリジナルキャラクターである金澤美穂演じる同期・水沢が「結婚式を”こんなところ”なんていう女、誰にも選ばれなくて当然だから」と説教するように、ドラマ版は、常に誰かに選ばれるのを待っているかのように受身で「どうして私は!」と自嘲してばかりいる未熟な女性が、恋愛を通して成長し変わっていく姿をしっかりと描いていこうとしている。
原作の素晴らしさはもちろん、ドラマにはドラマの、原作とは別物の見所がありそうだ。楽しみである。
■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住の書店員。「映画芸術」などに寄稿。