スマホ・タブレット時代における“漫画のコマ割り” 来るべき新しい表現を考察
何十年も前に完成しきった「コマ割り」
漫画とはコマとコマの連なりによって表現された物語のことである。などと書くと、何をいまさらと思う人もいるだろうが、このコマとコマの連なり、すなわち「コマ割り」こそが、隣接したほかの表現ジャンル、たとえば映画や演劇、文学といったものにはない、漫画だけがもっている独自の手法なのだということはあらためて強調しておきたい。
では、その漫画のコマ割りとはどういうものかと考えたとき、戦後のいわゆる貸本の時代からいまにいたるまでさほど形を変えていない、ということに気づいて少なからず驚いた。そう、この数十年のあいだ、貸本、月刊誌、週刊誌と、シーンを牽引する媒体の形は次々と変わっていったが、漫画(この場合は「ストーリー漫画」をさす)のコマ割りはいつの時代も見開き単位での「見せ方」が考え抜かれたものであり、その点では昔から大きな変化はないといえるのである。
具体的にいえば、紙の本を開いた状態(見開き)に、数段(3〜4段になることが多い)で組まれた複数のコマをバランスよく配置し、右ページ上段の1コマ目から左ページ下段の最後のコマに向かって読者の視線を誘導していくというのが、日本の漫画の基本的なコマ割りの形である。
無論、そのコマの中に描かれる絵的な表現は、貸本の時代と比べ現代の漫画は驚くべきレベルにまで達している。また、毎回ある程度物語を読み切らせることが望ましい月刊連載と、逆に毎回「引き」で終わることが多い週刊連載の漫画ではその「語り」のテンポはかなり違うものになっているだろう。
だがことコマ割りの面に関していえば、ある時期から大ゴマの多用や、タチキリを使った表現など派手めな演出は加わったものの、基本的にはこの数十年間、上記のような見開き単位でデザインされた定型を守り続けている。これは別に悪いことでも停滞でもない。むしろ紙をめくって漫画を読ませる完璧な形を、何十年も前に作りあげた先人たちに頭が下がる思いだ。