爪切男×姫乃たまが語る、忘れられない失恋とその尊さ 「出会う女性はみんな、自分にとってすごく特別な存在」

爪切男×姫乃たま『死にたい夜にかぎって』対談

 爪切男の小説『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)は、著者自身が今なお心に留めているほろ苦い失恋エピソードの数々を、毒気のあるユーモアと風変わりな愛情を持って綴った一冊だ。日刊SPA!で連載されていた人気エッセイ「爪切男のタクシー×ハンター」の恋愛エピソードを加筆修正し再構築した同作は、2020年初春に連続ドラマ化されることを受けて、2019年11月19日に文庫本が発売されるなど、再び注目を集めている。

 テレクラで出会った車椅子の女性、新興宗教を信仰する初めての彼女、浮気性で心の病を抱えた元同棲相手……爪切男は、そんな女性たちと過ごした過去を慈しむことで、日々の生活を前向きに営むことができているのだという。その背景には、いったいどのような考え方があるのか。爪切男と普段から親交がある姫乃たまが、根掘り葉掘り話を聞いた。(編集部)

「プロレスの美学を生活の中で実践したかった」

爪切男(イラスト=ポテチ光秀)

姫乃:この小説は、爪さんの実体験をもとに書かれてますけど、実際の出来事をどうやって小説に落とし込んだんですか?

爪:最初にエッセイとして発表したものから恋愛に関するエピソードを抜粋して、並べ替えたりしつつ、まとめていきました。でも、実体験をそのまま書くと、断薬とかしんどい題材も扱っていることもあって、そこまでロマンチックな話にはならないんですね。だから、読者が楽しく読めるようにフィクションを織り交ぜたところもあります。これ、友達の燃え殻さんから聞いたんですが、大槻ケンヂさんが『リンダリンダラバーソール』の執筆に関して、実際にはいなかった人のことを、本当はこういう人に居て欲しかったという祈りや希望を込めて書いたと仰っていたそうなんです。僕もそれに近いスタンスを意識しました。作品を通してもう一度、青春のやり直しをさせてもらったようなところがありますね。

姫乃:祈りを込めて書いたことで、完全なるノンフィクションから小説に変わっていった感じですか?

爪:そこの境界は難しいですよね。漫画家の松本大洋先生は、現実にあったことをそのまま書くとむしろ嘘くさくなるから、わざとセリフを減らしたりすることがあると確か仰っていて。僕も書いているとき、そういう風に感じることは多々あって、自然な物語として読んでもらえるように苦心しました。

姫乃:それはすごくわかります……。現実ってそのまま書いたら信じてもらえないだろってことが起こりますよね。読んでいて改めて、爪さんは忍耐強い人だなと思いました。小説にも忍耐強いエピソードがたくさん出てきますけど、そもそも私は堪え性がないので、傷ついた分は取り戻したい気持ちで、辛いことがあったら「絶対書いてやる!」って思っちゃうんですよ。爪さんはそういう欲をきちんとコントロールできるから、『死にたい夜にかぎって』は辛い日々もユーモラスに読めちゃうんですよね。ただ我慢して抑え込むんじゃなくて、辛いことも楽しくしていこうって気持ちがすごいなって思います。

爪:それはあるかもしれません。僕は小4くらいでプロレスに出会って、小6ぐらいで、その仕組みに気付いたんですね。で、本当の真剣勝負じゃなかったことに失望するのではなく、そういうきな臭いエンタテインメントに大人たちが熱中して、東京ドームに何万人という観客が集まることに救いを感じたんです。一瞬、プロレスラーになることを夢見たんですが、親父から「お前はヒーローになれる器ではない。たとえば『水戸黄門』のご一行にお前はいない。お前はうっかり八兵衛以下の人間なんだから、調子に乗るな」と叩き込まれていたので、自分がプロレスラーになれるような選ばれし人間だとは思わなかったんですけれど、プロレスの「受けの美学」は生活の中で実践していきたいとずっと思っていて。あと、うちは親父のスパルタ教育が凄かったので「受け」に関してはだいぶ鍛えられたと思います。

姫乃:あの、お父様が相当厳しかったみたいで……。それこそ、そのまま書けないこともたくさんあったんじゃないかと……。

爪:これでもだいぶマイルドに書いたんですけど、めちゃくちゃな親父でしたね(笑)。殴られてKOされて、焼却炉に入れられるエピソードは、本当はもっとひどかった。でも、それを書いちゃうと親父に悪いので。先日のM-1グランプリに「ぺこぱ」っていうお笑いコンビが出ていたんですけれど、彼らは“ノリ突っ込まないボケ”を武器にしていて。要は、普通ならボケに対して「違うだろ!」って突っ込むんですけれど、彼らの場合はボケに対して「俺の認識が間違っていたのかもしれない」って突っ込まずに受け流しちゃう。僕の思考はあれに近いのかも。

姫乃:そう! 爪さんのその思考って、いまものすごく大事な感性だと思うんです。物事を多角的に見て捉え直していく。人それぞれ好き嫌いはあるけど、善し悪しって個人では判断できないから、ネガティブだとされていることも実は悪くはないかもしれないですよね。いまの時代に必要な思考が下地にあるからこそ、テレビドラマ化も決まったんだろうなと思います。文章を書くにあたって影響を受けたものはありますか?

爪:僕、プロレスラーの自伝ばかり読んでいて、あんまり小説とかは読まないんですけれど、高校生の時に読んだ中島らもさんの『今夜、すベてのバーで』には影響を受けましたね。だらしないアル中の男の話なのに、前向きでどこか爽快感があって、「こんなに面白い読み物があるんだ」ってびっくりしました。らもさん自身もすごく面白い人で、放送コードギリギリの状態でテレビとか出てるのを見て、面白いなぁって。あとは先ほども挙げた大槻ケンヂさんの『グミ・チョコレート・パイン』ですね。

「左のポケットにはたくさんの女性たちとのエピソードがある」

『死にたい夜にかぎって』(単行本)

姫乃:文庫化されてから読み返してみて、連載時と比べて作品に対する気持ちに変化はありましたか?

爪:文庫版のあとがきにも書いたんですけど、改めて読み直して、ちゃんと自分のための本になったと実感できたんです。それが良かったですね。単行本を出したときもだいぶ救われた気持ちになったけれど、時間が経って読み直したら、もっと救われた気持ちになりました。自分の青春時代のことをひとつの本に残すころができて幸せです。

姫乃:どこかの誰かじゃなくて、自分のために書いた文章だからこそ、読んだ人たちの心にも届いたんですね。しかしこの本にはいろんな失恋が描かれていますけれど、爪さんはこれまで会った女の人たちをよく覚えていますよね……。過去の恋愛について、女性は上書き保存で更新、男性は新規保存で増やしていくなんて言いますけど、さすがに全部鮮明に保存しすぎでは。

爪:僕は変な話だけど、ちゃんと全員覚えてるんですよ。幼稚園、小中高とクラスメイトの女子は全員好きだったし、テレクラで会った女性も全員覚えています。どこで待ち合わせて、どこに行ったとか。この本でも書いてる、身長二メートル近い女性とのデートとか強烈に覚えていますね。

姫乃:そういえば以前、「こんな『甲賀忍法帖』みたいな恋愛だけじゃなく、普通に同級生とリアルタイムで付き合ってみたかった」って話になったじゃないですか。あの時はなんとなく共感のリアクションをとったんですけど、改めてちゃんと考えてみると、それが良いのか悪いのか、全くわからないんですよね。

爪:地元の人と付き合ったことないし、テレクラで会ったとか、ひたすらビンタされてたとか、そういうのばっかりでしたからね(笑)。でも、そういう失恋のエピソードを僕はたくさんポケットに入れて過ごしているから、死ぬのがそんなに怖くないというのはある。死って、誰しもが常にポケットに入れて持ち歩いているようなものだと思うんです。誰だっていつ死ぬかわからないわけですから。でも、俺の右のポケットには死があるけれど、左のポケットにはたくさんの女性たちとのエピソードがあるわけで。

姫乃:ポケットに思い出が詰まってるから、吹き飛ばされずに生きているって、すごく素敵ですね。

爪:渋谷の街を歩いていても、常に「この一蘭であの子と深夜にラーメン食べたな」とか思い出が自然と蘇ってくる(笑)。CDラックに女性との思い出を記録したCDが綺麗に整頓されていていつでも取り出せる感じ。本に出てくる人のほとんどとは、未だに連絡が取れる状態だし、いろいろ好き勝手に書かれたアスカは俺のこと嫌いかもしれないけれど、俺は嫌いじゃないし。僕、一度好きになった人のことは嫌いになれない。そういう性分なんですよね。あと、僕、プロレスラーの武藤敬司さんが大好きなんですけど、小学校のときからずっと、暇があれば武藤さんのことを思って、「今日はあの人の膝は大丈夫かな」なんて考えていました。僕は好きな人のことを考えると元気が出るので、今も毎朝起きたら、初体験の女性とアスカのことと武藤さんのことを思い出して、気持ちを明るい方に持っていくんです。

姫乃:起きてすぐ人のことを想うのが自分の幸せに繋がってるって、円満すぎますね。かっこいいです。自分の機嫌を自分で取れるというのも、いま必要な技術だと思います。

爪:僕はもともと強い人間だから辛いことを受け流せるわけじゃなくて、本当は弱いんです。でも、ポケットの中に女性との素敵な思い出がパンパンに詰まっているので、しんどくなったら、その中から元気が出るエピソードを思い出して、気持ちを持ち直せるので、毎日なんとか明るく過ごせてます。

姫乃:爪さんのそういうところが不思議で、みんなわかっていても、なかなかできないことだと思うんですよ。

爪:母親がいなかったから、女性への憧れや執着が強いのかもしれないです。出会う女性はみんな、自分にとってすごく特別な存在で絶対に離れたくないと思うんだけど、母親がいなくなったのと同じように、女性ってもんはいつか自分の側から離れていってしまうと諦めている部分もあるから、それなら、せめて楽しかった時の記憶は覚えておかないとって思うんでしょうね。あと、本にも書いたけれど、僕はおばあちゃんっ子で……。

姫乃:おばあちゃんのおっぱいを吸わせてもらっていたエピソードもありましたね。

爪:そうそう。で、おばあちゃんで思い出したんだけれど、小学生三年生の頃に「あなたの家庭料理を教えてください」というコンテストがあって、それで優秀作品に選ばれた料理が学校の給食に採用されるっていう企画があったんです。で、おばあちゃんは「今の若い子にはシソが足りない」と言って、シソご飯、シソの天ぷら、青ジソの味噌汁とかシソ料理尽くしのシソ御膳っていうメニューを提案したら、校長先生がそれを気に入って優秀作品に選ばれたんです。ところが、小学生にシソは早すぎたみたいで、食べたみんなから大顰蹙を買って、「お前ん家の飯なんだからお前が食え!」ってみんなの分のシソ御前まで俺が食べさせられたんですよ。あれはすげえ辛かった……。家に帰ったら帰ったで、おばあちゃんには「みんな美味しいって、大好評だったよ!」って嘘をついて。

姫乃:優しい……! 爪さんの話って優しくて泣けるけどなんか笑っちゃうんだよなあ。

爪:その話には後日談があって、クラスメイトの女子の1人が後から、「あのときは言えなかったけれど、おばあちゃんのシソ御膳すごく美味しかったよ」って言ってくれたんです。でも、その子は朝から晩まで鼻クソを食べている子だったんですよね。あの時は何と言えばいいのか分からなかった。未だにシソとか鼻くその話が出ると、その女の子のことを思い出しますね(笑)。

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