小説『蜜蜂と遠雷』は“音楽の感動”を言葉にする スピンオフ『祝福と予感』で広がる恩田陸の世界

『祝福と予感』で広がる恩田陸の世界

「どんよりとして澱んでいた胸の中の色彩があっというまに洗い流され、澄んだ薫風が吹きぬけてゆくかのよう。彼は心ゆくまで楽しんだ。吸い込んだ。堪能した。彼女の音楽を──彼女が音楽する歓びを。」(「獅子と芍薬」)

恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)

 ああ、そうだった。小説『蜜蜂と遠雷』の面白さは、“音楽”そのものを緻密な言葉で細やかに書き表すのみならず、そんな素晴らしい“音楽”を耳にしたときに人々が感じる、素直な喜びや率直な感動を鮮やかに描き出したところにあるのだ。

 構想に12年、執筆に7年を掛けたという恩田陸の長編小説『蜜蜂と遠雷』。とある国際的なピアノコンクールを、そこに参加した4人のコンテスタントを中心として、その最初から最後までを小説として描き切るという、前代未聞の試みに挑んだ本作は、2016年に単行本が出版されるやたちまち評判となり、その翌年には直木賞と本屋大賞をダブル受賞するなど、一大センセーションを巻き起こした。

 そして、周知の通り、この秋にはポーランドで映画を学んだ新鋭、石川慶監督により映画化され、こちらも大好評を受けながら、絶賛ロードショー公開中である。映画版の好評には、小説版とは異なり、実際にその“音楽”が鳴り響くなど、いくつか理由が挙げられる。しかし、その最大の理由は、やはり物語の中心となるコンテスタントの4人──元天才少女“栄伝亜夜”、努力家の凡人“高島明石”、優等生の天才“マサル”、そして才気溢れる異端児“風間塵”を、それぞれ松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、そしてオーディションによって選ばれた鈴鹿央士が、まさしく“ハマリ役”といった体で、見事に好演している点にあったのではないだろうか。

 そんな映画版の公開タイミングに合わせて、『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ短編小説集『祝福と予感』が、単行本として発売されているのを、ご存知だろうか。2017年に発売されたCD『蜜蜂と遠雷 ピアノ全集』に所収されていた書き下ろし短編「祝祭と掃苔」と、同年に発売されたCD『蜜蜂と遠雷 その音楽と世界』に所収されていた短編「伝説と予感」をはじめ、『蜜蜂と遠雷』の登場人物たちの“それ以前”と“それ以後”のショートストーリーやスケッチが6編、本作には収録されているのだ。

 その具体的な内容は、コンクールから数日後、亜夜とマサルが連れ立って(なぜか塵も同行して)、2人の恩師である綿貫先生の墓参りをする「祝祭と掃苔」、コンクールの審査委員を務めたナサニエルと三枝子の若き日の出会いを描いた「獅子と芍薬」、コンクールの課題曲となったオリジナル曲「春と修羅」をめぐる作曲家・菱沼忠明の知られざる物語「縦笛と葦笛」、楽器選びに悩むヴィオラ奏者・奏を描いた「鈴蘭と階段」、伝説の巨匠ホフマンと風間塵の出会いを描いた「伝説と予感」など、『蜜蜂と遠雷』の世界を堪能した人ならば、いずれも興味を惹くであろう物語となっている。

 第1次予選からオーケストラと共演する本選まで、コンテスタントを厳選しながら、計4回にわって繰り広げられる演奏シーンの描写をメインとして、そのあいだに彼/彼女たちの幕間的なエピソードは綴られていたものの、その全体としてはコンクールならではのピリピリとした緊張感のなかで、時系列に沿って描き出されていた『蜜蜂と遠雷』本編とは異なり、時系列を大胆に横断しながら、どこかリラックスしたタッチで描き出されているように思える6編の物語。「演奏中のピアニストたちの心情を細かく描くこと」が、『蜜蜂と遠雷』本編のテーマであったとするならば、この6編の物語のテーマとなっているのは、ある演奏を聴いたことによって、突き動かされるように行動に出てしまった人々の心情ということになるだろうか。そこで鳴っている旋律は、あくまでも想像するしかないものの、その演奏を聴いた人々が受けた大きな衝撃と、それによって彼/彼女たちが起こした行動は、読む側にも十分に伝わってくるのだ。そして、そうした人々の連鎖する行動の果てに、“芳ヶ江国際ピアノコンクール”という『蜜蜂と遠雷』本編の舞台が成立していたことも。

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