TOSHI-LOWが吞みながら語る、弁当作りと理想の親父像 「親父の弁当はもっと面白くて良い」

TOSHI-LOWが吞みながら語る、弁当作りと理想の親父像  「親父の弁当はもっと面白くて良い」

 BRAHMANのTOSHI-LOWが、妻である女優・りょうが多忙なときに長男のために作り始めた弁当・通称「鬼弁」をまとめた書籍『鬼弁~強面パンクロッカーの弁当奮闘記~』が、そのユニークな内容から各所で話題となり、発売から約4カ月経った今も好調なセールスを続けている。「つけめん弁当」や「全部真っ黄色弁当」、「ステーキ弁当」など、男親ならではの大胆な発想で作られた弁当の数々からは、TOSHI-LOWの“子育て論”を垣間見ることができ、特に父親世代から好評だ。

 TOSHI-LOWにとってバンドの先輩であり、同じく子を持つ父でもあるFORWARD ISHIYAが、渋谷の某居酒屋で酒を酌み交わしながら、その弁当作りに対する考え方と理想の親父像について話を訊いた。(編集部)

「弁当はサバイバル」

TOSHI-LOW『鬼弁〜強面パンクロッカーの弁当奮闘記〜』(ぴあ)

ーー誰がこの本を作ろうと言い出したの?

TOSHI-LOW:俺、鍵アカでインスタやってるんですけど、知ってる人にはオープンにしていて、それに弁当の画像を上げていたんです。もともと俺らの写真を撮っているカメラマンの奥さんがライターで、その弟子的な人間が『ぴあ中部版』にいて、そいつが見た瞬間からずっと「本にしたいんです」と言っていて。「こんなものを出しても面白くもなんともないから」って断っていたんですけれど、そこから3年ぐらい口説かれて、「本当に面白いんだったらいいけど」となったときにはすでに6年分たまってたんですよ。それで出すことに。

ーー弁当を作り始めたのは、息子さんが小学校に入ってから?

TOSHI-LOW:一緒に復興支援のボランティアをやっていた友達から、俺の息子が小学校に上がる時に、「面白い感性がある子なら、俺が行っていた私立の学校に通わせてみない?」って誘われて。あんまり私立とかは好きじゃなかったんですけど、「いい学校だから、試験受けてみれば?」と言われるがままに試験を受けたら合格して、その後に「給食ないんだよ」って言われました(笑)。でも、その学校が本当にいい学校で、6年生になると1年間かけて沖縄のガマ(沖縄本島南部の自然洞窟)とかに通って、語り部のおばちゃんとかと話す学習旅行をするんです。で、その時に通う学校には『琉球新報』と『沖縄タイムス』がバンバン貼ってあるんですよ。だから「なぜ基地があるのか?」とかが肌感覚でわかるんですよね。「そもそも沖縄がどういうところなのか?」という沖縄自体の問題にも向き合っていて、「米軍があった方がいい」という意見の人の取材もしたり、いろんな視点から物事を見るように教えられている。子どたちは素直に「あったほうがいいのか? ないほうがいいのか?」みたいな議論までやっていて、本当にいい学校なんですよ。ひとつだけ後悔したのは、弁当のことですね(笑)。

ーー嫁さん(りょう)と2人で「どっちが作るか」みたいな話にはなったの?

TOSHI-LOW:まあ、なりますよね。でもりょうちゃんが作ってる方が断然多い。俺は3分の1も作っていないと思う。それにしても、自分が美味いなと思っているものって、子どもは食べないですよね。自分の子どもの頃とか思い出して「これ嫌いだったなぁ」とか、朝作りながら思い出す6年間でした。

ーー息子と弁当を通して会話をしているような感じだね。

TOSHI-LOW:そうすね。連絡帳みたいな感じで。空っぽになってりゃ嬉しいし。最初の頃は、子どもが残したことに対して怒っちゃったんですよね。でも、どっかのタイミングで「美味しく食べさせる技術がないくせに、残すのを怒ってたんだなぁ」って気づいて、子どもが食べたいと思うように作ることを意識したら、やっぱりちゃんと食べてくれるようになって。「自分が気を使ってなかったんだな」って思いましたね。

ーーTOSHI-LOWは被災地支援のボランティア活動にも力を入れているけれど、震災の前から弁当作りはやっていたの?

TOSHI-LOW:ちょうど震災があった年はウチの子が幼稚園の年長さんだったので、その翌年からですね。2011年の東北が一番ひどかった時に、「パパの友達の街が大変なことになってるんだ。一緒に行きたいか?」って聞いたら、「行きたい」と言うから連れて行ったんですよ。そしたら、震災や津波で被害にあった500キロに渡る地域を、ずっと喋んないで見ていて、「僕でもできることないかな?」って言うんです。それで、子どもでも参加できるボランティアをやり始めたんです。

ーーやっぱり震災のショックはデカかったんだ。

TOSHI-LOW:もうデカ過ぎて。自分も何のために歌ってんのかなとか、色んなこと考えて。そこからリアルに子供を亡くしている人と向き合うようになるんですよね。でも1年目はみんなそれほど何かを言ってくれるわけじゃなくて、ずっと通って、2~3年経ってからようやくいろんなことを話してくれるようになったんです。それまではみんな気を張ってる状態だったんでしょうね、「お前らが何だか知らないけど」みたいな感じだったんですけれど、ちょっと落ち着いた頃になると、親としての情とか、後悔してることをみんなが俺にぽろぽろ言ってくれるようになって。朝まで呑んでいるときに、俺より腕っぷしの強そうな、屈強な漁師のやつが泣き出すんですよ。ちょうどウチと同じ歳ぐらいの子どもを亡くした人と話したりしてると、「あの日が最後の食事だったなら、一番好きなハンバーグ食わせてあげればよかった」みたいな日常のことを悔やんでいて、泣きながら話すんです。人は毎回、そういう風に考えて食事の内容を決めてるわけじゃないんだから、仕方がないことなんですけれど、やっぱり後悔するそうで。だとすれば、自分が親として子どもに何を食べさせようと考えると、なるべく手をかけたもの、良いもの、面白いものを一食一食出していくのが大事なのかなって。東京だからって安全じゃなくて、その日家に帰ったときに子どもの顔に白い布が被ってることだって無くはないじゃないですか。だから、作り始めた頃は、その最後の時にどういう弁当を持たせたいかということをリアルに考えて、「一品でも自分で手をかけて作ったものを入れよう」と。

ーー家族を失った人たちから話を訊いて、弁当作りに対する気持ちも変わったんだ。

TOSHI-LOW:毎朝送り出すときに無事を願いつつも「この子は帰ってこないのかもしれない」ってどこか意識するようになりましたね。ある人は、「あの朝、行ってきますって言って出て行って、俺は帰ってくると思っていたから何も言わなかったんだよね」と後悔していた。そういうのをまざまざと見せられて、自分が子どもと接しているその瞬間は本当に素晴らしくて幸せなものなのに、なんで「めんどくせぇ」って思っていたんだろうって。多くの人は、日常の中で普通に生きてることの幸せを忘れて、その日に子どもとちゃんと会話しなかったこととか、ちょっとしたことを後悔していたんです。それで、俺も子どもとの接し方が変わったし、その日に弁当が空っぽになっていなくても別にいいやって思うようになりましたね。その子がちゃんと生き延びて、大人になったら俺の伝えたいことがわかればいいし、目の前のことだけじゃなくて、そういう大きなことを教えるのが親父のあり方というか、お母さんとの違いなんじゃないかと思って。そういう意味では、弁当はサバイバルだと思っていますね。「生きていくってなんだろう?」って考えますから。

ーーこの本は、そういうところにTOSHI-LOWの「親父目線」が感じられるよね。

TOSHI-LOW:時々、「父親って何なんだろう?」って考えることがあって。俺は、父親がひとつやるべきことは、子どもに対して「自分の力で生きていかないといけないんだよ」と教えることなのかなと思うんです。そう考えると、弁当にはこれが入っていなければダメというものはないし、別に食わなくても良い。とにかくちゃんと家に帰ってきてくれて、また会えればいい、くらいに思うようになったんです。人生はすごく自由で、食べるか食べないかを選ぶのも自分次第だし、三食しっかり食べる必要だってないし、なんなら何日か食事を抜いたって人は生きていけるわけですよ。弁当一食の中で完璧なんか求めなくてよくて、子どもにはむしろ、そういうおおらかさを身につけてほしい。しかも、それこそ生きていく術なんじゃないかとも思うんですよね。で、親父の弁当なんだから、もっと面白くて良いじゃないかと思って、もう何でもかんでも入れちまえって(笑)。

ーーバンドで飯を食えていて、時間の自由もあるっていうのは結構特殊なことだし、子どもは知らないうちにちゃんと自由というものを体感しているんじゃないかな。

TOSHI-LOW:それがわかった方が本人にとっても選択肢が増えますよね。「うちの親父も母ちゃんも変わってんだな」って思ってもらったほうがいいし。子どもの学校もちょっと変わった親御さんが集まってて、中には有名な漫画家もいるんですよ。でも、お母さんたちはPTAですごい正論を言ったりすることが多い。俺たちは、本当は面白いことを言いたいんですけれど、言うと怒られちゃうから、ずっと黙って書記をやったりして終わるっていう(笑)。PTAをやっている時も「お父さんって何なんだろう?」って考えて、もうちょっとキテレツだったり、タガがはずれているくらいの方がいいのかなと。

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