佐藤大×JUN INAGAWA特別対談 ゲーム『攻殻機動隊』サントラに息づくテクノ/クラブカルチャーを語る
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今年秋にリリースとなったサウンドトラックCD『攻殻機動隊~ビデオゲーム・サウンドトラック MEGATECH BODY CD., LTD.』のアナログレコードが、12月18日に発売された。1997年にPlayStation®用シューティングゲーム『攻殻機動隊~GHOST IN THE SHELL~』が発売されたが、本作はそのサウンドトラックの再発盤である。
参加したアーティストの顔ぶれから、本作はサントラだけでなくテクノコンピレーションの金字塔として界隈では広く知られていた。石野卓球にWestbam、Derrick MayやJoey Beltramなど、世界中からテクノの重鎮が一堂に会し、この2枚組のディスクの中で種種様様なビートが鳴らされた。今作でもその輝きは健在である。ミニマルなテクスチャーながら後半にかけてグルーヴの魅力が増してくる石野卓球の「Ghost In The Shell」、ヒプノティックなシンセの音色とグリッチ感のあるMijk Van Dijkの「Firecracker」、トリップホップ的なアプローチが印象的なHardfloorの「Spook & Spell (Slow Version)」……。本作はミニマルテクノが隆盛を極めていた当時の空気感を吸い込み、そのうえで『攻殻機動隊』の世界観を踏襲している。昨今は若手レイヴクルー“みんなのきもち”などがこの時代周辺のテクノやトランスを再解釈/再構築しており、このサントラがこのタイミングでリリースされたことに大きな意味を感じざるを得ない。
また、本作は全曲がデジタルリマスタリングで収録。そのほか、Derrick May宅のDATから発見されたリマスタリング済みの「To Be or Not To Be」未発表バージョン(Off the Cuff Mix/※)を含む、ボーナストラック3曲が収められている。
本作のリリースに際し、佐藤大とJUN INAGAWAの対談を企画。佐藤は『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002年10月~)や『攻殻機動隊 SAC_2045』(2020年4月~)をはじめ、『交響詩篇エウレカセブン』(2005年4月~)などの脚本を担当。1997年リリースの『攻殻機動隊~ビデオゲーム・サウンドトラック MEGATECH BODY CD., LTD.』では、Frogman Recordsを一緒に設立したKEN=GO→(渡邊健吾)と共に、ライナー執筆および企画協力で参加している。
そんなゲーム『攻殻機動隊~GHOST IN THE SHELL~』のサウンドトラックは、1997年から時代を越えて、多くの世代のテクノファンに影響を与え、今もなお注目を集める作品だ。対談相手であるJUN INAGAWAも、90年代のテクノシーンに影響を受けた次世代の一人であり、折に触れて佐藤へのリスペクトを表明してきた。自身もTVアニメ『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』の原案を担当しており、何よりもストーリーテラーとしてシンパシーを感じているのかもしれない。そんな世代差がありながらも、テクノに魅了されてきた二人が邂逅したことが、今作がタイムレスな作品であることの証左とも言えるだろう。
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」のど真ん中を体験した脚本家と、日本のアニメや漫画カルチャーを重要なインスピレーションとしながらDJとしてもブースに立つ若手アーティストが満を持して邂逅。幻のサウンドトラックが繋いだ2人のオリジネイターの胸の内を知る。(Yuki Kawasaki)
※2024年5月に『攻殻機動隊』のイベントへの出演で来日したDerrick Mayのインタビューでの会話をきっかけに、デトロイトの自身のスタジオにある約5,000本のDATから当時のマスターテープを発掘。1997年の技術では実現できなかったという、彼の頭の中にある理想の「To Be or Not To Be」を2024年の技術とテクノロジーによるリマスタリングで“Off The Cuff 2024 Redefined Mix”として表現することに成功した。
JUN INAGAWAがテクノにのめり込んだ理由
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―― 今回が初対談になるかと思いますが、お互いの仕事や作品に対してどんな印象を持っていますか?
JUN INAGAWA(以下、INAGAWA):僕が佐藤さんを知ったのは、友人がきっかけだったんです。その人はblue roomという(Orbitalの曲名から引用している)古着屋をやっていて、音楽にも詳しくて。僕がよく彼の店に遊びに行ってただ音楽や漫画の話をひたすらノンストップでするんですけど、あるとき「JUNは電子音楽好きだと思うよ」って言ってくれたんです。当時は石野卓球さんやKen Ishiiさんのことも知らなかったんですが、電子音楽やその背景にある物語に深く惚れ込み、今はなき渋谷のContactというクラブで自分でもテクノ、エレクトロのパーティをオーガナイズするようにもなりました。僕の同世代や下の世代に電子音楽で踊ることの素晴らしさや魅力、物語を体感して欲しかったんです。そんなある日その彼がまた「漫画やアニメと電子音楽を繋げた人がいる」と教えてくれるわけですよ。それが佐藤大さんでした。普段は身体性のあるテクノばっかり聴いていたのですが、さっそく「C.T.SCAN」(佐藤大とKEN=GO→により設立されたレーベル『Frogman Records』からリリースされたシングルトラック)から入り、より自分の精神性に訴えかけるアンビエントやIDMの世界観に感動しました。『Frogman Records』は日本人しか出せない特有の電子音楽のサウンドや世界観をヨーロッパに広めた橋渡し役だと僕は思っています。
佐藤大(以下、佐藤):そこまで遡って聴いてくれていたんですね。ありがたいし、今の時代でそれはなかなかレアなケースだと思いますよ。僕の方は本当に不勉強で申し訳ないんですけれども、INAGAWAさんのことをイラストレーターだと認識してました。ファッションブランドともコラボしてらっしゃるので、どちらかといえば村上隆さんに近いのかなと。アメリカの西海岸に住んでいたとも伺って、もっとスケーターカルチャーなんかが身近にあった人なのかなと思ってました。
INAGAWA:まったく間違いではないです。恐らく多くの人が僕に対して持っているイメージもそうだと思います。イラストレーターも実は成り行きで、日本で漫画家になれなくて挫折したことがそもそもの発端なんです。元々アメリカで暮らしていたんですが、周りが大学進学を決めるタイミングで自分はその道を選ばず、日本の出版社に自作の漫画を持ち込んだんです。それが叶わずもう一度アメリカに戻って、僕に圧倒的に不足していた経験を積まなければと思い至りました。それからスケーターの人たちと関わるようになって、Instagramを介して自分の絵を色々な人に送り付けてたんです。そうしたらSupremeのライダーとコラボすることになって。で、日本にも「どうやらアメリカに現地のスケーターとつるんでいる日本人がいるらしい」という噂が伝わったらしいんですよ。そこから逆輸入っぽく今に至る感じです。僕としてはスケーターの文脈に入り込みたかったわけじゃなくて、知らないことを知ることが目的でした。異なるカルチャーが混ざり合う感じがその頃から好きなんです。
――多面的な活動をされていて、なおかつ多方面のアイデアを持っているという特徴は佐藤さんにもあてはまる気がします。
佐藤:僕も自分では、言葉を生業にし続けた結果、今に至るという認識でいるんですよね。バラエティ文脈からYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を知ったぐらい元々お笑いがすごく好きだったので、最初は放送作家になりたかったんです。秋元康さんが代表を務めていたSOLD-OUTという会社に18歳で入るんですけど、そこで放送作家や作詞家などの仕事をやっていました。それと並行して音楽ライターとしても活動していて、当時は『PATi・PATi』や『R&R NEWSMAKER』などの音楽雑誌に寄稿していたんです。そこで電気グルーヴや他のミュージシャンの知り合いができ始めたんですけど、そのタイミングで作詞の印税がそこそこ入ってきて。そのときに自分も何か色んなことを経験したほうがいいんじゃないかと考えて、所属していたSOLD-OUTを辞めて直ぐにロンドンに行きました。当時は現地で「セカンド・サマー・オブ・ラブ」や「マッドチェスター」が盛り上がっている時期でしたね。
INAGAWA:最高ですね……!
佐藤:でも当時の自分はそんなシーンがロンドンにあるとはまったく知りませんでした。そもそも1989年ぐらいまでは自分の音楽体験はすべてリアルタイムではないと感じていたんです。パンクはもう下火だし、Joy Divisionのイアン・カーティスは死んでるし、自分の世代の音楽って何もないんじゃないかと。何か調べると全部過去。ところがロンドンに行った89年か90年に差し掛かる頃、Joy Divisionのジャケットを手掛けたピーター・サヴィルがデザインしたクラブ・The Haçiendaがオープンしたり、なにか新しい盛り上がりを感じる出来事が随所で起きていたんです。
オタクだった僕は、それまで日本で盛り上がっていたディスコのノリが嫌いで全然ついていけなかったし、ヒップホップもなんか怖そうな人が多かった(笑)。でも当時のイギリスのクラブは、テクノにハウスにバレアリックって具合にジャンルもバラバラ。来ているお客さんもセガのTシャツを着ていたり、マリオのバッグとかも持ってたんです。「俺はゴジラが好きだよ」とか「アトムが好きだよ」とか、英語ができなくても単語で会話ができる(今作に参加しているMijk van DijkとClaude Youngは『攻殻機動隊』の大ファン。特にMijkは日本のアニメに熱心なオタクでもある)。しかもゲームの筐体までクラブに置いてあって、日本のディスコより全然居心地がいい(笑)。それにめちゃくちゃ影響を受けて、日本に帰って『TGNG -東京ゲーマーズナイトグルーヴ-』というパーティを開催しました。なのでINAGAWAさんの話を聞いていると、自分が若い頃にやっていた道と似ている気がしますね。
INAGAWA:音楽ってすべての中間って感じがするんですよね。それを取り巻く環境や人、そこから積み上がる文化とか、枝分かれしてゆく様子がすごく好きなんです。その中の登場人物のたったひとりでしかない状況に興奮するというか。僕も人がたくさんいる場所がそんなに好きじゃないんですけど、クラブってむしろひとりになれる場所だと思うんです。
佐藤:わかります。ひとりになりたかったらスピーカーの前に行けばいいしね(笑)。
INAGAWA:そうなんですよ(笑)。だから僕にとってクラブにおける定位置があって、そこでひたすら音楽に没頭する時間があります。そのときに友達に見つかるとちょっと気まずくて、視認されにくい位置に移動して難を逃れるという……(笑)。その状況が面白くて、漫画にしたら共感してくれそうな人も多い気がするんです。佐藤さんがイギリスに行っていた頃の「オタク」ってそういう不器用さを持っていたように感じられて、僕はそこにも共感するんですよ。
佐藤:そうだと思います。今、世間がいう「オタク」には、自分は当てはまらないと感じますね。「オタク」の意味合いが変わったというか。1989年ごろは宮崎事件の影響もあって、オタクは世間から迫害される対象でした。「これが宮崎の部屋です!」とマスコミがTVで報じたときは、自分の部屋と同じような部屋だったことに戦慄してましたね。オタクカルチャーに興味がある人は一刻も早く卒業すべきだと考えられていたし、親にも心配されましたから。
INAGAWA:「クールジャパン」以降違う意味になりましたよね。特にコロナ禍で爆発的にアニメや漫画が跳ねたのも理由のひとつだとは思いますが「オタク」という言葉が使われすぎて、意味をだんだん持たなくなり、細分化され、もう収集がつかないところまできました。
どんな分野でも命をかけてミクロまで愛すのがオタクだと僕は思っていましたが、今はマクロな視点でオタクを扱ったり当てはめられたりするのが多くなりました。デビュー当時、多方面のメディアから「オタクxストリート」とレッテルを貼られて以降、「オタク」という言葉の意味や深さや自己分析をする時間も作れないくらい猛スピードで進んでいく世間に自分はいつしかついていけなくなりました。
当時は右も左もわかっていなかった自分の「オタク」への扱い方にも責任を感じてしまい、安易に「オタク」という言葉を使うのはやめました。
佐藤:「オタク」がマジョリティになったってことですよね。みんなもう当時の僕らみたいな悩みはないんじゃないかなと思います。
INAGAWA:「オタク」って言葉が今よりもずっと重かったわけですよね。「オタク」を描いちゃいけない時代があったって知ったのが20代になってからなんですが、それから安易に使えなくなってしまったんです。
佐藤:僕が『交響詩篇エウレカセブン』を作ってる頃、その昔の「オタク」感覚を顕著に感じることがありました。スタッフの間で暗号的なコミュニケーションが成立したんです。自分と同世代の京田知己監督もロンドンでクラブカルチャーを経験していて、打ち合わせで「サヴィルのデザイン」とか言うと一発で伝わるんです。だからこそ「二度とできないことをやろう」って話し合って、「日曜の朝7時に田中フミヤとかaudio activeの曲がかかったら面白いんじゃない? 観てる子供たちは誰も分からないかもしれないけど、もしかしたら何か起こせるかも」とか、アニメとしてのメインストーリーの根幹は守りながらも、色々好き勝手やらせてもらいました。クラブで踊りながら物事を考えるっていう人物像は、まさにレントン(『交響詩篇エウレカセブン』の主人公)にあてがったものです。でもそれをクラブに行ったことのある人たちに向けるんじゃなくて、シーンの背景を何も知らない人たちに投げたかったんです。
INAGAWA:僕もそれをやりたいんですよ(笑)!
佐藤:あと、アニメに使われる音楽ってビジネスの側面も強いので、大体最新の楽曲を使う場合がほとんどなんですが、『エウレカ』はどうしても既存曲のSUPERCARの「STORYWRITER」と、電気グルーヴの「虹」を使いたかった。ただSUPERCARのナカコー(中村弘二)さんに訊いたら「ありがたいんですけど、バンド解散するんですよね……」と返事をもらい、「虹」についてはアニメのプロデューサーサイドから「なんで新曲じゃないんですか?」と言われてしまって……。でもビジネスとかバンド解散とか、そういう次元を超えて、「この曲をかけたいんです!」という僕らの想いを伝えて、みんなに納得してもらいましたね。