追悼 BUCK-TICK 櫻井敦司 孤高の表現を貫き、穏やかな心で魅了した類稀なるボーカリスト
BUCK-TICKのボーカリスト 櫻井敦司の急逝に、ずっと心がざわついている。彼が倒れた10月19日の翌日に、BUCK-TICKのステージを観る予定だった。ライブの中止、そして逝去の知らせは突然すぎて今も受け止めきれない。同じように動揺し、悲しみを耐えているファンの思いがSNSでは溢れ続けている。
艶やかな美声と容貌、スラリとした長身でステージ映えは抜群、耽美でありながらアグレッシブな歌詞を書き、シアトリカルでドラマチックなパフォーマンスとともに歌う稀有なボーカリスト。ステージで見せる圧倒的な存在感に神々しささえ感じて近寄りがたい思いを抱く。そんな人が多かったのではないかと思うが、私も改めてそんな思いをしたのが、今年7月23日に有明ガーデンシアターで観た『BUCK-TICK TOUR 2023 異空-IZORA-』ファイナルだった。
8000人収容の大ホールで、隅々まで伝わる細やかな表現に溢れた歌、その歌を全身で表すしなやかな動きは、観る者を惹きつけた。歌う表現者として櫻井は新たな境地に至ったのではと思わせるもので、彼の歌が躍進することでメンバーの演奏もスケールアップしているように思えた。デビュー35周年を迎えたBUCK-TICKが培ってきたものが、今まさに熟してきているような気がしたし、ステージを彩る凝ったCG映像や照明などの演出も全て櫻井の歌のために用意されているように思えたものだ。終演後、そんな感想を伝えると櫻井はとても喜んでくれた。その約2カ月後、彼らの地元・群馬にある群馬音楽センターでの追加公演(『BUCK-TICK TOUR 2023 異空-IZORA- FINALO』)も観た。ユニークなデザインのホールで、彼らはデビュー当時から何度も演奏してきただけに、楽しそうなライブだった。櫻井が歌いながら何度も腕を羽ばたくようにひらひらと踊らせたのは、上毛かるたの「つる舞う形の群馬県」を意図したものだったのだろうか。次に会ったら聞いてみようと思っていたが、その機会はなくなってしまった。
櫻井のライブパフォーマンスは独特だった。よく通る声で歌いながら、様々な小道具を使って歌の世界を表現していく。オーストリッチのストールや薄手のショール、エレガントなハットやステッキ、ベネツィアのお祭りで使うような仮面やアンティーク風の燭台などを曲に合わせて使い、例えば1枚のストールを肩に羽織ったり頭から被ったり、ちょっとした工夫で全く違う情景を描き出す。さらに衣装の工夫で様々なキャラクターを登場させて観る者を惹きつけた。ニーハイストッキングでレッグラインをチラ見せさせたかと思うと、黒紋付の着物を羽織って美しく舞う。指先まで神経を張り詰めた身体表現は、どんなステージセットよりも効果的に楽曲を引き立てた。そんな櫻井のパフォーマンスに少なからぬ影響を与えていたのは、8月に急逝したDer ZibetのISSAY(Vo)だ。ボーカリスト同士というだけでなく音楽やアートの好みが共通していた二人は、長年の友人であり互いに刺激し合う仲だった。二人の交流からDer ZibetとBUCK-TICKは互いの作品に参加し、ライブに登場したこともある。共演したときのことをISSAYは「敦司くんはステージで独特のテンションがある人なんで、お互いのテンションのせめぎ合いが気持ちいい」と言い、櫻井は「そのときそのときの真剣勝負で反応しなくてはいけないので、すごく楽しかった」と言っていた(※1)。
櫻井はステージを降りれば控えめで言葉数は少ないが、いつも穏やかで誰に対しても等しく優しく、細やかな気遣いを自然にできる人だった。BUCK-TICK恒例の年末の武道館公演には毎回多くのバンド仲間や友人が集まり、打ち上げは朝まで続く。本当は一人で静かに飲むのが好きと言っていたものだが、そんな席で櫻井は一人ひとりと酒杯を交わしていた。もちろん櫻井だけでなくBUCK-TICKのメンバーはいずれも人との繋がりを大切にし、多くの人たちといい関係を続けている。SNSに櫻井への哀悼が溢れているのはBUCK-TICKが築いてきた豊かな友人関係を表しているように思う。そして、そうした彼の優しさや心の広さ、豊かさが、楽曲やライブを通じて多くのファンに伝わり魅了してきたことは言うまでもない。
BUCK-TICKは、櫻井と同じ高校に通っていた今井寿(Gt)、星野英彦(Gt)らで組んだバンドを母体にして始まった。当初、櫻井はドラマーだったが、本人が「歌いたい」と申し出てボーカルに転向。樋口豊(Ba)の兄・ヤガミトール(Dr)が参加して本格的に活動を開始し、1986年にインディーズレーベル「太陽レコード」から1stシングル『TO-SEARCH』をリリース。その翌年にインディーズ1stアルバム『HURRY UP MODE』をリリースした後、ビクターエンタテインメントからライブビデオ『バクチク現象 at LIVE INN』でメジャーデビューした。当時は珍しい映像作品からのスタートの理由を聞いたところ、ヤガミが「俺らビジュアル重視なんで」と答えたのを今も鮮烈に覚えている。ヴィジュアル系という言葉が生まれる前の話だ。この当時はライブハウスの壁などにバンドが「メンバー募集」のチラシを貼るのが常套手段で、自分たちの音楽の趣向性を好きなバンドを列記して伝えたりしていたが、いつからか「ビジュアル重視」というワードもよく使われるようになった。バンドブームの黎明期で、TVや雑誌に取り上げられるにはビジュアルも大事と思われるようになってきたからだ。その頃のBUCK-TICKは櫻井の端正な顔立ちよりも、パンキッシュに逆立てた髪型やニューウェーブ風の衣装に重点を置いていたと思うが、櫻井の存在は注目を集めるのに十分だった。ビクター インビテーション(Invitation)から同じ1987年にデビューしたLÄ-PPISCHのMAGUMI(Vo/Trumpet)が「あっちゃん(櫻井)の美しさは、神々しいほどですよ」と言うのを聞いて、私のBUCK-TICKに対する見方が変わったことは否めない。