「大手メディアではこのような曲、到底流せませんよ」 金平茂紀が語る、URC作品の反権威的な姿勢が日本社会に残した衝撃

金平茂紀、URC作品の魅力

岡林信康は歌い手であると同時に、素晴らしい詩人

ーー今回の監修オファーを受けた際は、率直にどう思われましたか?

金平:そこは正直、なんで俺なのかなと(笑)。だって自分はあくまで報道畑の人間で、音楽は趣味で聴いてきただけですから。でも実際に作業に関わらせていただいて楽しかったですよ。原点の再確認とか言うとかっこつけすぎですけど。昔を振り返って、「なるほどなあ」って腑に落ちるところは多かった。

ーー具体的には、どういった部分でしょう?

金平:僕が仕事をしているニュースの世界って、口では進歩的なことを言っていても、実はすごく保守的なんですよ。例えば、テレビ局の報道フロアに行くでしょう。そうするとフロア内に歴然としたヒエラルキーがあるのね。一番上が政治部や経済部で、要は天下国家を語る人が偉いという価値観がある。そういう記者は、権力者と付き合うのが仕事だと思ってますから。スーツをビシッと着て黒塗りのハイヤーに乗って。だんだん自分も偉いと勘違いしがちなんです。極端な話、着る服の趣味とか喋り方まで取材対象と似てきちゃったりして……。

ーーそれもすごい話ですね。

金平:僕はたまたま外信部が長くて。政治部や経済部の生え抜きたちが社内で権力争いをしているのを、外側から見るポジションにいたものだから。そんな振る舞いが可笑しくて仕方なかったんですね。もっと包み隠さず言うならば、ジャーナリスト面をして偉そうにふんぞり返ってる記者に対して、今も「ケッ!」という気持ちがあります(笑)。たぶんその根っこには、若い頃に抱いたURCへの共感もあるんじゃないかなと。

ーーなるほど。

金平:あと、先ほどのヒエラルキー構造の話にはまだ先があってね。あくまで一般論ですが、政治部や経済部の下に切った張ったの事件を追いかける社会部があって。音楽や映画、演劇などを扱う文化部は、そのさらに下に位置付けられている。上下という表現がよくなければ、本流と傍流と言っても構いません。いずれにしてもこれは、日本の報道機関の非常によくない部分だと僕は思う。だって、世の中を動かす大衆の喜怒哀楽をもっとも早くストレートに映すのは、アートとか芸能じゃないですか。1本の映画、1枚のアルバムで人生変わっちゃう人なんて、世界中にいくらでもいるわけで。

ーーかつて金平さんにとってのURCがそうだったように?

金平:まあ、かっこよく言えばね。少なくともいろいろな音楽を通じて、若い頃からその気持ちを持ち続けてこられたのはジャーナリストとしてよかったと思います。逆に言うと日本の報道機関は、これまで余りにも長くジェンダーや性加害の問題に対して無頓着だったでしょう。それだって報道内のヒエラルキーと無関係じゃない気がする。大所高所からものを見るのに慣れすぎて自分ごととして向き合えなかった。これは僕自身の反省として痛切にあります。って、話が少しURCから逸れちゃったけれど(笑)。

ーーでは改めて、本盤の選曲で意識されたことは何でしたか?

金平:基本構成は、ソニー・ミュージックレーベルズの担当スタッフさんと相談しながら進めました。僕が提案させてもらったのは、最初と最後に岡林信康さんの歌を入れようということ。あとは「戦争と平和」という主題を意識しつつ、反戦歌だけじゃない多様な曲をカバーすることですかね。例えば早川義夫さんの「サルビアの花」にしても、三上寛さんの「誰を怨めばいいのでございましょうか」にしてもそう。一度耳にすれば、人生が根底から変わってしまうようなすごい曲が、URCのレコードにはいっぱいありますから。そういう幅の広さも、若い人たちにぜひ知ってもらいたかった。

ーー純愛とロマンチシズムが昂じてほとんど虚無の域に達している「サルビアの花」と、無垢と情念が暴力的にせめぎあう「誰を怨めばいいのでございましょうか」。2曲の振り幅がそのままURCというレーベルの多様性に思えます。

金平:うん。まったくその通りだと思いますよ。

ーー岡林信康ナンバーで全体を挟んだのは、どういう意図だったんでしょう?

金平:存在そのものが屹立してるというか、やっぱりURCを象徴するアーティストって岡林さんだと思うんです。イエス・キリストみたいな風体もそうだし、歩んだ足跡もそう。日雇い労働者として働きながら政治の季節を代弁する名曲をいくつも残していて。しかも、フォークの教祖に祭り上げられそうになったら、パッと身を引いて農村に引きこもってしまう。1曲目に入れた「私たちの望むものは」には、そんな彼の心の叫びが、これ以上ないほど生々しく出ている気がします。〈私たちの望むものは/生きる苦しみではなく/私たちの望むものは/生きる喜びなのだ〉って、こんなストレートな物言いがよくできるなと思う。今の若い人が聴いたら、顔から火が出ちゃうんじゃないかな。

ーーでも、不思議なくらい引き込まれますよね。時代を超えた力を感じます。

金平:そう? 当時を知らない人がこの曲を聴いて、どんな印象を抱くのか、正直僕には想像も付かない(笑)。だからこそこの名曲からアルバムを始めてみるのも面白いんじゃないかと。そういう気持ちはありました。もう1つ、「私たちの望むものは」でバックを務めているのは、実ははっぴいえんどのメンバーなんですよ。

ーー1970年8月、中津川フォークジャンボリーで撮影された映像が有名です。

金平:今でこそシティポップの元祖として評価が確立したはっぴいえんどですが、当時のフォーク好きからは商業主義に日和ったバンドとしてめちゃくちゃ嫌われていたんです。でもこうやって聴き直すと、2つの潮流が重なって素晴らしい音楽を生みだした瞬間が確実に存在した。僕自身、荒井由実さんの「ひこうき雲」(1973年)とか大好きでよく聴いてましたから。そういう音楽史的な面白さも少し、感じてもらえたら嬉しいなと。

ーーラストの「がいこつの唄」は1曲目とは打って変わって、コミカルなナンバーです。関西弁まるだし、下ネタ全開のMCが何とも可笑しい。

金平:これまたすごい振れ幅ですよね。死神が主人公の落語みたいな唄で、お客を大笑いさせながら、最後はちゃんと〈一度しかない/オマハンの命〉というメッセージに持っていく。歌い手にとって、諧謔もまた武器なのだということが、この曲を聴くとよくわかります。歌い手であると同時に、素晴らしい詩人なんだと思いますね、彼は。

ーー加川良の「教訓1」は、今も多くのアーティストに歌い継がれています。コロナ禍のステイホーム期間中、女優の杏さんが弾き語り映像を配信して話題になりました。

金平:杏さんの演奏、すばらしかったよね。この曲の3番に〈命をすてて 男になれと/言われた時には ふるえましょうヨネ/そうよ 私しゃ 女で結構/女のくさったので かまいませんよ〉という歌詞があるんです。作り手にも受け手側にも、ジェンダー平等の意識が今現在とは比べようのないほど希薄な時代だった。その後半を彼女は〈腰抜け へたれ ひ弱でけっこう/どうぞ何とでも こう呼びなさいよ〉と替えて歌っておられた。優れた音楽は、そうやって時代に応じて変化も重ねられる。もちろん原曲にその力が備わっているからですが。

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