売野雅勇、40年に渡る作詞道 シャネルズ、中森明菜、チェッカーズ、坂本龍一……時代を超えて愛されるポップスの条件

売野雅勇、40年に渡る作詞道

 上智大学文学部英文科卒業後、コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年に河合夕子のアルバム『リトル・トウキョウ』、シャネルズ(ラッツ&スター)の「星くずのダンス・ホール」などで作詞家として活動を始めた売野雅勇。アイドル黄金時代と呼ばれた80年代において、中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、荻野目洋子「六本木純情派」、シブがき隊や近藤真彦、田原俊彦、河合奈保子など数多くのアイドル楽曲を手がける一方で、矢沢永吉、坂本龍一、中谷美紀、稲垣潤一、杉山清貴、カルロストシキ&オメガトライブ、森進一、中西圭三、山内惠介など数多くのアーティストに作品を提供。また近年はTikTokで売野の代表作のひとつ、ラッツ&スターの「め組のひと」(クレジットは麻生麗二名義)がリバイバルヒットし、そのキャッチーな歌詞に再び注目が集まっている。

 そんな売野は作詞家活動40年を迎え、その集大成として7月15日に『売野雅勇 作詞活動40周年記念 オフィシャル・プロジェクトMIND CIRCUS SPECIAL SHOW 「それでも、世界は、美しい」』を開催する。シャネルズ、中森明菜、チェッカーズ、坂本龍一など、彼がこれまでに手がけた名曲の歌詞を紐解きながら、売野雅勇の作詞道に迫った。(榑林史章)

ポップスは夢見るようなものでなければ

――売野さんは80年代に作詞家としてデビューし、数多くのヒット曲に携わりました。近年は昭和レトロブームの流れもあり、80年代の歌謡曲がZ世代の間で話題となりSNSを賑わせています。その点については、どんな風に受け止められていますか?

売野:こういった展開は、正直全く想像していませんでした。当時はリリースの間隔も短くて、アイドルは3カ月に1枚レコードを出すのが当たり前でしたからね。消費されていくものという認識のほうが強かったので長く聴かれることは想定していませんでした。ここ数年の間に起こった変化で、新しい世代のリスナーに見つけてもらえたことは、とても好運でハッピーなことだと思っています。

――当時も売野さんが手がけたアイドルは10代~20代を中心とした若い世代に向けて発信されていたわけですが、今それを聴いているのも同じ10代~20代が中心です。その世代が求める歌の本質は、何十年経っても変わらないのだなと思いました。

売野:時代によって得られる情報や考え方は変わるけど、歌の深いところにあるイデオロギーに時代は関係ない。ティーンエイジャーにとっての最大の関心事は、自分の未来や恋愛、恋人のことや片思いの相手に対する、夢見るような思いです。それは多くのティーンエイジャーの特徴的な考え方であり、体質というか基本構造で、時代が変わっても変わらないのだと思います。自分の若い頃を思い返しても、70%は女の子のことばかり考えていました(笑)。少なくともみんな、半分以上はそのことが占めている。そうじゃなかったですか?

――確かにそうだったかもしれません(笑)。それを時代の空気感や流行に合わせて、書いていくのが作詞家という仕事なのですね。

売野:はい。僕は稲垣潤一さんの歌詞を長年書いているのですが、稲垣さんが40代になった時に「このままティーンエイジャーの歌詞を歌っていていいのか?」という疑問について、ディスカッションしたことがあります。その時に出た結論は、ポップスというもの自体が基本的に“ティーンエイジャー”のためのものなのだから、“永遠のティーンエイジャー”でいることが、テーマなんじゃないかと。実は、年を重ねていくとその部分で悩むシンガーは結構多くいるのですが、例えば家庭の話を歌ってもいいとは思うけど、もうちょっとドリーミーで夢見るようなものでなければ、ポップスとしてはあまり面白くないんじゃないかと思うんです。

――そういう意味では、売野さんが最初期に手がけたシャネルズ(後のラッツ&スター)の「星くずのダンス・ホール」は、設定としては会えなくなった恋人への思いを歌った悲しい歌なのに、とてもロマンチックでまさしくドリーミーな楽曲でしたね。

売野:バラードを作詞するのはとても難しくて、人の心の奥深くの機微に触れるような歌詞は、人間として多くの経験をしていないと書けないものなんです。でも僕が「星くずのダンス・ホール」を書いた時は30歳、社会に出て6~7年しか経っていなかったから、バラードに乗せて人にメッセージできることが多くはありませんでした。だからすごく大変でしたね。これは初めて告白しますが、僕が尊敬している作詞家に山川啓介さんという方がいて、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」や「チャイナタウン」、郷ひろみさんの「哀愁のカサブランカ」の詞などを書かれている方です。山川さんの歌詞を読んでいつも感動していました。魂に通じあうものがある、僕と近い感性の方なのだろうと感じていました。それで山川さんが書いた、あるバラードの歌詞を参考にして書いたのが「星くずのダンス・ホール」なんです。もちろん見比べて分かる人は少ないと思うけれど、山川さんの歌詞に着想を得ています。

――山川啓介さんは2017年に亡くなっていますが、山川さんはそのことをご存じだったのですか?

売野:いえ。ただ山川啓介さんの奥さまをご存じの方がいたので、実は自分のデビュー作はこういう経緯でとお話をして、その方を通じて奥さまに伝えていただいたのです。そうしたら奥さまから、「仏壇に報告して、シャネルズの曲を聴かせてあげました」とお返事をいただき感動しました。これは本当につい最近の出来事です。

――その「星くずのダンス・ホール」を歌った鈴木雅之さんは、現在は「ラブソングの王様」と呼ばれています。その原点であり影響を与えたのが、売野さんの歌詞なのかなと思うのですが。

売野:もともと作詞家になる前にコピーライターをやっていて、キャッチコピーを書いたりシャネルズのブレーンのような立場で、こういう曲にはこういう歌詞がいいんじゃないかなど提案したりしていて。それもあって、シャネルズは最初10人いたんですけど、鈴木さんは僕を「11人目のシャネルズ」だとコンサートで紹介してくれたこともあります。まさしく盟友っていうのかな。印象深いのは、1982年に中森明菜の「少女A」がヒットして、その暮れに何かの歌謡祭で新人作詞家賞をいただいた時のことです。ステージに登壇したら客席の最前列にピンクのスーツを着たシャネルズのメンバーがずらりと並んでいて。鈴木さんと目が合った気がしたので会釈したら、鈴木さんも親指を立ててサインを返してくれました。シャネルズのブレーンから、作詞家として花開いたことに「良かったじゃん」って。その瞬間とてもエモーショナルな気持ちになって、今でもとてもいい思い出です。

中森明菜「少女A」に影響を与えた阿木燿子の描く女性像

売野雅勇(写真=林直幸)

――今お話にあがった中森明菜さんの「少女A」も、売野さんのキャリアを語る上では外せない楽曲です。何かのインタビューで、阿木燿子さんが手がけた山口百恵さんの楽曲の歌詞を勉強して書かれたと。

売野:そうです。その時はアイドルの作詞は全くの初めてだったから、『明星』という雑誌の付録だった歌本に載っている曲の歌詞を見ながらどんな歌があるのかリサーチしていたんです。その中にあった阿木さんの歌詞を見た時は本当に驚きました。この人だけ書き方が違うなって。スタイルがしっかりしていて、基本的な立ち方が違う。で、この人から書き方を勉強しようと思って、阿木さんの歌詞を分析して、中森さんの「少女A」に活かしたわけです。具体的に言うと、〈じれったい じれったい〉という歌詞なんですけど。

――他の曲の歌詞と阿木さんの歌詞は、何が違ったのですか?

売野:阿木さんが書くアイドルの歌詞は、少女だけどちゃんとした女性というか、強くて自我がしっかりある。アイドル的な華やかさはあっても、フワフワとしたところがなく強い女性像。結局、阿木さんがそういう人だったということなのだと思います。

――歌詞には作詞家の性格が出るということですか?

売野:特に言葉なので、その人の考えていることが如実に出ます。その作詞家の歌詞だけをまとめて読んだりすると、「この人はこういう人なのか」が一目瞭然だと思います。その歌手に合わせて書いてはいるけれど、僕だけじゃなく大体の作詞家はみんな、自分のことを書いているのだと思います。もちろんその歌手に合わない表現は使えないから、共通項を見つけて書いていくわけですけど。だから歌手との相性も絶対的にあって、あまり好きではない歌手の歌詞は書けないですね。おそらく噓を書いているような気持ちになります。

――中森明菜さんの楽曲では、他にも「1/2の神話」や「十戒」などパンチの効いた歌詞を多く手がけてヒットしました。中森さんとは共鳴する部分があったということですか?

売野:そうですね。こういう女性だろうなと思って、それを自分から出る言葉で書きました。「十戒」の冒頭で〈愚図ねカッコつけてるだけで〉と歌っていますが、あれは自分自身が思ったことで、なよっとした男に対して僕が言いたかったことなんです。それはきっと明菜さんも、その言葉ではないかもしれないけど、同じような思いを持っていたからこそ、歌って気持ちよかったり、「自分はこういうことが言いたかったんだ」と気づいたりしてもらえたのではないかと思います。作詞というものは、基本的にそういう仕組みでできています。

――明菜さんは実際にお会いすると、どんな方だという印象でしたか?

売野:実は、1回しか会ったことがないので分からないです(笑)。歌詞をたくさん書いているから仲が良さそうに思うでしょうけど、今はどう思っているか分かりませんが、明菜さんは僕のことが最初は嫌いだったはずです(笑)。若いからしょうがないけれど、ああいう歌詞を歌わせられるのに抵抗があったみたいで、本当は松田聖子さんみたいにキラキラとした綺麗な世界を歌いたいと思っていたようです。だからディレクターもなるべく会わせないようにしていたと思いますが、1回くらいは会わせておかないと僕に対して失礼だろうと思ってか、アルバムをレコーディング中のスタジオに呼ばれて行ったことがあります。挨拶くらいで15分も一緒にいなかったんじゃないかな(笑)。でもそこで感じたのは、すごく繊細そうな子だということ。本当はすごくいい子だなんだと思ったし、守ってあげたいと思わせられる雰囲気がありました。そんな風に思ったのは、明菜さんと安室奈美恵さんだけです。安室さんがメンバーだったSUPER MONKEY'Sの1stシングルに収録の「ミスターU.S.A.」を書いたのですが、最初に会った時はまだ13歳だったんですけど本当に天使のようでした。この2人の印象は、僕にとってスペシャルです。

チェッカーズ「ジュリアに傷心」も ポップスはいつの時代も“最初の8小節”が勝負

売野雅勇(写真=林直幸)

――あと80年代といえば、チェッカーズの楽曲で数多くの作詞を手がけていましたね。

売野:チェッカーズは初めて会った時から賑やかで明るく、全員すごくお洒落でしたね。目黒にあるヤマハの本社で週1回、作曲家の芹澤廣明さんがデビュー前のチェッカーズにレッスンをしていて、そこに遊びに行った時が初対面でした。みんな洒落た格好をしててキュートでしたね。特に藤井フミヤくんや鶴久政治くんは目立ってお洒落でした。不良っぽいんだけどお洒落で可愛げがあって、横浜銀蝿みたいにズボンが太い不良は怖くて話せなかったけど(笑)、チェッカーズとはすぐに仲良くなれましたね。人なつっこくて、一緒にいて楽しい男の子たちだった。

――チェッカーズの楽曲は、芹澤さんとのタッグで「涙のリクエスト」など多くのヒットを生み、「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」「ジュリアに傷心」「あの娘とスキャンダル」などがオリコン1位を獲得しました。チェッカーズの作詞で心がけていたことはありますか?

売野:僕の作詞家としての故郷がシャネルズであることは先にお話をしましたが、チェッカーズはそのシャネルズを目指して「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場して、デビューのきっかけをつかみました。僕の得意分野であるドゥーワップやオールディーズがチェッカーズも好きだったから、それに付随してファッションや趣味も共通するところがあったね。「それ、クリームソーダ(原宿にあるロックンロールファッションの専門店)でしょ?」「売野さんの着ているシャツはどこのですか?」って、そういう会話が成り立つ相手だったんです。

――そういう会話をする中から、歌詞のヒントを得ていたと。

売野:そうですね。会話の内容、その時の感覚、感触は全部覚えています。だからチェッカーズの歌詞をいざ書こうとなれば、知らず知らずのうちにそれが出てきます。言ってみれば作詞というのは、その歌手にとってのオートクチュールなわけです。その歌手のためだけに仕立てるわけだから、彼らに関わる全てを総動員するんです。

――「ジュリアに傷心」についてのインタビューで、タイトルと頭の2行に命を賭けていると答えていました。

売野:はい。「ジュリアに傷心」は、頭の2行の言葉のノリやグルーヴが異様にいいんです。メロディとリズムに乗っていて、ああいうノリは他の作詞家ではなかなか出せない気がします。特にメロディが畳み込む感じじゃないですか、そこが命なんですね。歌はどれもそうなのですが、最初の8小節で勝負がついてしまうから、出だしで失敗すると誰も聴いてくれない。イントロがあまり長いのも面白くないし。「ジュリアに傷心」はもともとイントロも良かったしタイトルも良かったし、制作段階で頭の2行の歌詞だけ、結構何度も書いたんですよ。もしかすると他の作詞家にも声をかけていたかもしれないけど、最終的に僕以上にノリやグルーヴ感を出せる歌詞が出てこなかったということだと思います。

――頭2行の理論は、他の歌詞でも意識をされていることですか?

売野:いつでも大事にしています。

――今の世代はTikTokを始めSNSなどで音楽を聴く時に、頭の数秒でその曲が聴くに値するかを判断している。SNSで売野さんが当時書かれた歌詞の曲が多く再生されているのは、若者が音楽に求めるものに、時代を超えて共通したものがあるのだなと思いました。

売野:そうかもしれないね。意識はしていないから、分からないけど(笑)。でも50年代~60年代は、イントロは短く10秒でいいと言われていましたからね。The Beatlesにしたって曲がすごく短くて、2分22秒とか3分33秒が多いんです。音楽的にいろいろな手法が生まれて、いろいろ聴かせたくなるから、イントロやアウトロが長くなりがちだけど、ポップミュージックは短いほうがいいと僕は思っています。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる