高橋幸宏、気高く飄々と極めたポップカルチャーの“粋” 最後の趣味人たる音楽家だった理由

 高橋幸宏の死去のニュースから1カ月近くが経過した(ここでは敬称略とさせていただく)。まだ実感がわかないという人も、じわじわと喪失感を覚えるようになったという人もいることだろう。いまだにこうして関連記事や追悼記事が発表されているし、国内はもちろんのこと、海外においても音楽専門メディアからThe New York Timesなど一般媒体までがその功績を讃えている。つい先日行われた『第65回グラミー賞』授賞式では、ボニー・レイット(最優秀楽曲賞受賞)によるクリスティン・マクヴィー(Fleetwood Mac)追悼パフォーマンスの最中に、バックスクリーンに高橋幸宏の写真も大きく映し出されていた。功績を讃える記事やパフォーマンス、明かされる証言やかつての発言などに触れ、その影響力のほどに改めて驚かされているリスナーも少なくないに違いない。

 そのように展開されるとりわけ海外の追悼記事、パフォーマンスの多くは、やはりYellow Magic Orchestra(以下、YMO)を中心とする彼のキャリアをまとめたものだが(前述のグラミー賞授賞式のパフォーマンスでも、“YUKIHIRO TAKAHASHI MUSICIAN SINGER RECORD PRODUCER YELLOW MAGIC ORCHESTRA”とクレジットされていた)、そんな中にあって、Pitchforkの記事に少し興味深い記述があったので少々長めになるが紹介したいと思う。

「As his discography became more popular in Western circles, Takahashi had to clarify that his music isn’t part of the city pop genre. “I never imagined that music from the ’70s in Japan and city pop, which I have very little connection to, would get popular in the U.S. I also feel that it’s a little strange that my music and music from [others like] Akiko Yano and Haruomi Hosono is all being categorized as city pop,” he told Dublab in 2020. “In the ’70s, Japanese musicians were being influenced by fusion and pop from the west. Japanese musicians are generally very technical, and though they try to imitate western music, it always ended up sounding very Japanese, including the vocals. The people from the west now listening to those records, probably find a kitsch appeal in them.”」(※1)

 自分が関わってきた一部の作品が、昨今、シティポップに属して捉えられることについての違和感を話している箇所だ。この記事が引用しているのは、Dublabという米ロサンゼルスのネットラジオ局の番組内での発言(日本語)なのだが、2020年1月に公開されたこの番組の中で(※2)、高橋は実際に矢野顕子や細野晴臣らの音楽がすべてシティポップに分類されるのは少し奇妙に感じると発言している。そして、当時日本のミュージシャンの多くが欧米のフュージョンなどに影響を受けていたが、西洋の音楽を真似しようとしても、ボーカルも含めて日本的なサウンドになってしまう、だが、そこに今の欧米のリスナーはキッチュな魅力を感じているのではないか、と分析しているのだ。

 ここ数年に始まったことではないが、アメリカのレーベル Light in the Atticから、2019年に日本の80~90年代の環境音楽作品を集めたコンピレーションアルバム『Kankyo Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』がリリースされてからというもの……そして、これがグラミー賞の最優秀ヒストリカル・アルバム部門にノミネートされるととりわけ、この時代に活動した日本のアーティストへの世界的注目がさらに高まっていった。当時のアナログレコードが依然として高騰していることについてはもはやここでは触れないが、高橋の作品に対しても例外ではなく、山下達郎、大貫妙子、矢野顕子らと並んでシティポップとして十把一絡げに受け止められることが今もないわけではない。実際、若い頃に様々な洋楽、とりわけブラックミュージックを多く聴いて育った彼のドラミング、ビート感は多分にその影響下にあると言ってもいい。

 しかし同時に高橋はシャンソンやカンツォーネといったヨーロッパの大衆歌、あるいはレゲエやボサノヴァを含む中南米音楽の熱心なリスナーであり、ソロに転じてからは特に、次々と新しいスタイルに挑み、あるいはそのエッセンスや方法論を柔軟に取り込んでいた。1978年にリリースされた1stソロアルバム『Saravah!』にはドメニコ・モドゥーニョが最初にヒットさせた「Nel blu dipinto di blu (Volare)」、デューク・エリントンの「Mood Indigo」、イヴ・モンタンや越路吹雪ら多数の歌い手がとりあげたシャンソンの名曲「C'est Si Bon」といった多様なカバーが収録されているが、いずれもとてもしなやかで軽やかな風合いを覗かせながら歌っていて、ミュージシャンシップの高さ、音作りにまつわる技術のほどを窺わせるというより、洗練された都会の大人としての横顔をさりげなく伝えている。とりわけボーカルはどこか頼りなさげで風にゆらゆらと揺れているかのようで……。だがそれは、おおかた彼自身のシャイな性格によるところが大きいようにも思えるのだ。

高橋幸宏「Nel blu dipinto di blu (Volare)」

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