WANDS、『スラムダンク』ED曲「世界が終るまでは…」世代超えて愛される理由 第5期セルフカバーに寄せられた歓喜の声
「WANDSって(イントネーションは)どういう風に呼べば良いの?」「B’zやZARDみたいな感じね!」
1992年『もっと強く抱きしめたなら』で大ヒットを飛ばしたWANDSが音楽番組に出演した際、司会者をまじえてこんなやりとりがあったことを筆者は記憶している。1991年にデビューしたWANDSは、音楽会社・ビーイングのもとで制作、プロモーションを展開。TUBE、B’z、ZARD、DEEN、大黒摩季らビーイング系アーティストとともに黄金期を築き上げた。前述したバンド名に関しても、ワンワードのローマ字表記で、イントネーションを付けない呼び方がビーイング系のひとつの流行りだった。WANDSはまさにその流れにあった「流行のJ-POP」として人気をあつめていった。
ただ、GUNS N' ROSESなどを好んで聴いていたというボーカル・上杉昇が、WANDSの音楽路線に違和感をいだいていたのは良く知られている話だ。「もっと強く抱きしめたなら」はCMソングということもあってキャッチーなワードを散りばめた楽曲となっており、つづいて中山美穂とコラボレーションしたドラマ主題歌「世界中の誰よりきっと」(1992年)、ダンサブルなデジタルロック「時の扉」(1993年)などもヒットを記録したが、チャートとタイアップ全盛の時代性を加味した路線と上杉本来の志向には微妙なすれ違いがあったように思える。
一つの過ぎ去りし時代を象徴する「世界が終るまでは…」
そんななか、それぞれの思惑を両立させる形になったのが1994年6月リリースの「世界が終るまでは…」ではないだろうか。
前年「愛を語るより口づけをかわそう」「恋せよ乙女」(1993年)といったラブソングが続いたが、「世界が終るまでは…」では一転して人間の孤独を描いており、サウンド面も含めてハードボイルドさを感じさせた。前作「Jumpin’ Jack Boy」(1993年)からその予兆はあったが、同曲は曲冒頭〈大都会に僕はもう一人で 投げ捨てられた 空き缶のようだ〉が示すように、そこには感情の寂れが満ちみちていた。未来や世界に向けて不信感をいだき、心が徐々に崩壊していく様子はたしかにロック的であり、上杉がバンドとして歌いたかったものだと想像できる。
作詞は上杉自身が手がけ、作曲は織田哲郎、編曲は葉山たけし。1994年当時、世界的にもグランジがブームとなり、ポップで疾走感のあるパンク、さらにヒップホップなどを絡めたミクスチャーなど、多角的なアプローチでロックが昇華された。その一方で、“1980年代ハードロック”は明らかに過ぎ去ったムーブメントとなっていた。
しかし「世界が終るまでは…」は“1980年代ハードロック”のテイストを出した曲となった。また歌詞は、バブル崩壊後の日本の有り様もイメージさせた。今振り返るとそれは、いろんな意味で「一つの時代の過ぎ去り」をあらわしていたと考えられる。ちなみに当時は、1999年に人類が滅亡するという『ノストラダムスの大予言』ブームもじわじわときていた。小中学生のなかには、それを迷信とは受け取っていない者もいた。「世界が終る」というタイトルも決して誇大的ではなかったのだ。いろんなものが終わるのではないか、そんなシビアな世界観をこの曲はまとっており、しかもそれがチャートで結果を残した点が驚異だった。もちろんその背景には、人気漫画をテレビアニメ化した『SLAM DUNK』(テレビ朝日系)のエンディング曲に起用されたことも大きな追い風となっていた。