国内外で強まるロックフェスのポップ化、その背景とは? 浮かび上がるメリットとデメリット

ロックフェスのポップ化、その背景とは?

 仮にフェスがポップ化しているとして、そのメリットは何になるのだろうか。先ほども述べたが、たくさんの集客を見込める=幅広い音楽リスナーをターゲットにできる、という点は大きなメリットであろう。さらに言えば、ジャンル違いのアーティストが介するからこそのドラマというのもある。2018年の『コーチェラ』でのビヨンセのステージはその象徴のひとつだったし、同フェスでは今年88risingがアジア系アーティストを代表するようなステージを披露したこともまた、“ポップ化した今のフェス”だからこその感動であったように感じた。日本でもPerfumeがロックフェスの常連になるなかで、“ロックフェスのステージはかく然るべき”を、屈指のパフォーマンスで常に瓦解してきたことも記憶に新しい。

 一方でデメリットを挙げるとすれば、違うコードやカルチャーを持った観客が集うことで、ある種の衝突が生まれるという懸念が考えられる。日本で言えば、アイドルファンとロックファンでは盛り上がり方が違うため、モッシュやペンライトの是非などが議論されるケースもある。日本のリスナーは場の調和を大切にする人が多いことからも、こういったトピックが目立ちやすいのだろう。また、本来的には知らないアーティストとの出会いの場としても機能していたフェスが、知っているアーティストを確認するだけの場になってしまっているケースも散見される。間口を広げれば広げるほど、観たいものだけを観る流れは強まっている印象を受けるのだ。これは、音楽ストリーミングサービスやYouTubeでのコンテンツとの接し方でも同じことが言えるのではないかと思う。

 ここまでざっくりと考えてみたが、ではこれから先、ロックフェスはどうなっていくのだろうか。

 おそらくフェスは二極化していき、フェスごとの趣向性が色濃くなるのではないかと思う(逆にそれができないフェスは淘汰されていくだろう)。そのため、ロック志向が強いフェスは、そのジャンルのボリュームに適した規模感になっていくのではないか。そして、冒頭で挙げたようなメガフェスは、今後もよりポップ化(ライトな音楽ファンも認知しているアーティストのブッキング)が顕著になっていくと思われる。

 ただ、そもそもとして、ここで“ポップ”と形容したアーティストの多くは、実は“ロック”であるのではないかと考えることもできる。これは、そのアーティストの精神性を意味するのではなく、シンプルにロックの歴史とはそういうことの繰り返しだった、と思うからだ。当時“ロック”だと思われていた類のものがマイナーになる一方で、新しい感性が生み出した、新しい形式美をもった音楽が生まれていき、その音楽に対して今は適切な表現がないから“ポップ”という言葉を使っているが、丁寧に聴き込んで言葉を付与すれば、実は“〜ロック”という言葉の方がしっくりくる、というケースはあるはず。そうした微妙な線引きが存在しているからこそ、同じポップ畑の人でも、ロックフェスにハマる人、ハマらない人がいるのではないかと考えている。

 興行として考えた場合、決まったジャンルに対してあまりに頑なでいると、間違いなくその規模はシュリンクしていく。規模を大きくし、シーンを盛り上げていくには、常に変化を繰り返し続けることが重要だと考えている。フェスシーンもまた、変化を繰り返すことで、規模を拡大し、発展してきた。今後もその流れが続く限りは、フェスは盛り上がっていくだろう。確かに昔の景色を知る人からすると、その変化はどこか寂しく映るのかもしれないが、その先にこそ明るい未来が待ち構えているはずだ。

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