東方神起、西野カナ、JY……山本加津彦の作家としての軌跡と信念 手がけた作品が繋いでいく音楽の縁

山本加津彦、作家としての信念

感じるままに生まれてくる音楽が作りたい

――先日リリースされた牛来美佳さんの「いつかまた浪江の空を」は、東日本大震災の被災者である牛来さんが復興への希望を込めて歌った曲です。牛来さんとの出会いから6年かけて2015年に完成させた曲でした。

山本:牛来さんとは2009年に出会ったんですけど、彼女から震災後の浪江の街を撮影したアルバムが2012年に送られてきたんです。浪江に帰ってみたけど故郷がこんな姿になってしまい無力で悔しくて仕方ないと。そのアルバムに「浪江の曲を作っていただけませんか?」という手紙が添えられていたんです。

――とはいえ、おいそれと作れる曲じゃないですよね?

山本:そうなんです。被災の経験から故郷の現実や思いを歌で伝えたいということでしたので、ただ「曲を作る」ということだけでは完成しないだろうなと思っていました。当初の彼女には歌唱力も十分に備わっていなかったから10回はレコーディングをし直しましたし、途中で彼女が、(歌詞に現実が追いつかなくて)「もう歌えない」という時期もありました。そんな状態で完成させてしまっても意味がなく、何度か一緒に浪江に行って、人のいない町を歩き、置かれた現実と一緒に向き合いながら、最終的には、この歌詞と同じ思いでいてくれる小学校の仮校舎に残った「21人の浪江の子どもたち」に一緒に歌ってもらうという形で、現地でレコーディングし完成させました。3年かかりました。

――牛来さんの思いに、山本さんの思いも重なっていったんですね。

山本:僕は震災のときに音楽の無力さを痛感したんです。それまでの価値観で音楽を作ってもこんなに無力なんだと思っていて。あのときに感じた「何もできない」という無力さを原動力にして気持ちを注いでいきました。あんな思いはもうしたくないし、音楽で何かできることはないかと考えて、曲の完成後も牛来さんと一緒に歌ったり演奏したりしてるんです。最終的に牛来さんのご両親に「あの曲があったからここまで来られた」って言っていただけたんですよね。そのときにほんのちょっとですけど、震災に対して音楽で向き合えたのかなと思えました。まだまだですが。

いつかまた浪江の空を2022' 牛来美佳/浪江町のこどもたち

――音楽を通じて社会とコミットすることに関して、山本さんはどのように考えていらっしゃいますか?

山本:この曲だけじゃなく、加藤登紀子さんに歌っていただいた「広島 愛の川」(中沢啓治・作詞)という曲も震災後に作ったんですけど、もともと音楽を始めた理由みたいなところに繋がってくるんです。僕は、生きてることに意味があるのかな? とか思っていた時期に音楽と出会って始めたじゃないですか。

――冒頭のジョン・レノン「Love」ですね。

山本:そういう出会いだったからこそ、音楽を生きてて良かったなと思えることにしたくてやってきたのに、2011年の震災で無力感に苛まれて、「これをやっているだけじゃ駄目だ」「このままじゃ音楽をやってて良かったというふうに死ねないな」と思って。それ以降、音楽に向き合う気持ちが変わって、時にはスタッフに怒られるくらいお金にならないようなことでも、自分が納得いくために必要なものを選ぶようになったんです。自分が泣けるものであったり、人生を賭けてやって良かったなと思えるものにアンテナを張るようになった時期に巡り会ったのが牛来さんだった。牛来さんがアルバムと手紙を送ってきてくれて、この曲を作るきっかけを与えてくれたことに今は感謝しかないです。

――音楽を始めた原点に、音楽観というより死生観があるんですね。

山本:そうなんです。逆に薄っぺらいところにいきたくないっていうのが人一倍強くて。学生の頃、ものすごく盛り上がってるライブを見て自分は虚しくなったタイプなんです。こんなことがしたくて音楽を始めたんじゃないって。そういうことをしたいんだったら若い今が全盛期。そういう音楽だったら、この先歳をとってやる意味はないと思ってたから。

――山本さんが今、ご自身の楽曲作りに求めるものはなんですか?

山本:自分が死ぬ間際に聴きたくなるかどうかですね。自分がそのときに聞いて、生きてきて良かったと泣いちゃうくらいの感動があるかどうかを求めます。ほとんど自己満足の世界ですが、そこは大きいですね。

――日頃からそれを大事にして曲を作っている?

山本:作ってます。だから殴り書きみたいな曲も多くて。ボイスレコーダーをピアノの上に置いて、何も考えずにピアノを弾きながら1曲丸々歌い切るような作り方をしてるんです。最近特にそうなりました。

――その理由は?

山本:波形をいじったり、一個一個キックの音から作って行くような作り方だと、自分の目に見える世界だけで作っちゃうことになると思うんです。自分が求めているのは、想像を超えた先。宇宙の先にあるようなところに飛んでいきたいと思っているから。視覚から入っちゃうと、そこを振り切るようなモードにならないんですよね。

――必然の作業ではなく、偶然の作用を求めているのかも。

山本:そうですね。突拍子のないものが出てくる可能性を潰したくないんです。だから、コードもあえてぐちゃぐちゃにして、整頓せずに作るんです。たとえば絵とか、鉛筆でガーッと描いたものにグッと来たりするじゃないですか。でも、綺麗に整えられた作品を見ると何も感じなくなってしまう場合もある。感じるままに生まれてくる音楽が作りたいんです。そうじゃないものを量産することに対する虚しさみたいなものがどんどん強くなってきたし、自分的に意味がないものを作りたくない。お金にならなくて、ピアノを売り払うことになったとしても、そこは譲れないところだし、そこを追い求めていかないと、19歳のときに出会った音楽を裏切ることになるんじゃないかと思うんですよね。

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■山本加津彦 Sony Music Publishing オフィシャルサイト 
https://smpj.jp/songwriters/katsuhikoyamamoto/

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