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EXILE、三代目 J SOUL BROTHERS……T.Kura×michicoが担うクリエイターとしての覚悟 「佳作どまりじゃ許されない」
EXILE、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、安室奈美恵、三浦大知、Crystal Kay、AI、E-girlsなどの楽曲を手がけてきたプロデューサー・ソングライターのT.Kuraとmichico。2010年には、EXILEの「I Wish For You」で第52回日本レコード大賞も受賞したヒットメイカーコンビだ。今回はアトランタに住むmichicoと東京に住むT.Kuraを結び、いかにして25年近くJ-POPの第一線で活躍できたのかを聞いた。四半世紀ほど音楽クリエイターを続けることとは、一体どんなことなのだろうか?(宗像明将)
「I Wish For You」は、最初の出だしを作ったときから「これはいける」と思った
ーーT.Kuraさんは、2000年からアトランタを拠点にして2015年頃に帰国して東京在住、michicoさんは1999年からアトランタ在住ですね。アトランタに制作拠点を置く魅力とは何でしょうか?
michico:自分の作った過去の作品が聴こえないこと。自分が作った作品がどこで流れていて、どういう風に扱われているのか、ほとんど知らない状態でいるので、過去のものに引きずられない、フレッシュな気持ちでいられます。日本を離れて、ずっと旅してる状態に近いので、リフレッシュできる土地なんです。
ーーT.Kuraさんは、アトランタ時代は「低音病」みたいになったと話していましたね。
T.Kura:自分がアトランタに居たときは、リル・ジョンとかCrank Musicが流行ってきて、808(ローランドTR-808)の音の重要度がすごく上がり、ジャーメイン・デュプリの<SO SO DEF>レーベルの作品は、ドラムはほぼ808みたいな状態。マイアミベースからの流れがアトランタに来て、っていう感じだったんです。自分は日本の音楽をメインにやってたので、「うまく取り入れよう」ぐらいの感覚で接してましたけど、その頃からアトランタの音楽はもうベースミュージック一辺倒だったので、スタジオでもPAスピーカーを設置してるんですよ。爆音で再生されるので、気持ち悪くなるんです。
ーーR&B、ヒップホップの印象が強いおふたりですが、音楽的なルーツはどんなものでしょうか?
T.Kura:中学校ぐらいの時はYMOが好きでした。あの頃はレンタルレコード屋さんから借りて、店員さんと話したりして、マイケル・ジャクソンとかスティーヴィー・ワンダー、チャカ・カーン、シカゴとか、アメリカのHOT40に入っているようなものを聴いてましたね。イギリス系のスクリッティ・ポリッティとかも。ラジオの時代だったので、そういうのが流れる番組をカセットテープに録って聴く感じでしたね。
ーーそこからブラックミュージックを聴くようになったんでしょうか?
T.Kura:ドラムとかパーカッションとかビートが好きだったんですね。それが強調されてすごく魅力的に聴こえたのがブラックミュージック、特にダンスミュージック。その頃から自分でも家でカセットMTRに録って作りはじめて。その後、学生時代からプロの世界に入って、DJの人たちと知り合いになって、サンプリングのネタとしてジェームス・ブラウンとか、昔のソウルを遡って。DJのスクラッチバトルの会社から音楽キャリアを始めたので、バトルとかで「これ何だろう?」と思ってオリジナルを調べるとThe J.B.'sだったりとか、そういうのが多かったんですよ。
michico:一番最初の幼少期の洋楽の記憶ってディスコもので。私が7歳の時、7歳上の姉が友達を連れてきて、家をディスコ状態にしていて、それを襖の間から聴いていたんです。中学生になって、パディスコ、ウォークマンが出てきて、音楽が街に持ち出せるようになって、「何を聴こう?」ってなったときに、『Black Crystal』(1981年)っていうブラックミュージックのコンピレーションアルバムを姉が持ってる環境だったんですね。それに多摩地区に居たので、FEN(日本における米軍基地関係者向けの放送局。現在の名称はAFN)が聞けるんです。週末になると家でそれが流れてたんです。日本のアーティストさんでも、松任谷由実さん、山下達郎さんとか大滝詠一さんとかナイアガラ・トライアングルとか聴いてましたね。
ーーそもそも1990年代からアーティスト活動をしていたおふたりが、作家活動をするようになったきっかけは何でしょうか? T.Kura さんのユニットのGIANT SWINGの1stアルバムが1994年で、そこにmichicoさんが参加したのが1997年ですよね。
michico:アーティスト活動の前から作家活動をしていて、楽曲提供をやってたんですよ。
T.Kura:彼女はもともと知り合いのボーカリストのバックグラウンドボーカルをやってて知り合ったんです。その後に僕が中目黒にスタジオを作った時期があって、そこでECDさんにリミックス(1997年の『Cutting Edge(Giant Swing Mix)』)を頼まれて、michicoの歌をいっぱい入れたのが、一緒にやった最初かもしれないです。僕は当時DMC(Disco Mixing Club)の大会を主催している会社に所属して、ジュリアナ東京のジョン・ロビンソンのCDを手伝ったり、その前にdj hondaさんと一緒にいくつかRemixをやったり、九州のダンスチームの楽曲を作ったり、1992年辺りが最初ですね。今のDJの人たちって完全にビートメイカーの人が多いんですけど、当時は自分でビートを作るとかコードを入れるなどの作業をしない人が多かったので、その部分を手伝っていましたね。
ーーヒップホップカルチャーの中から自然と作家になったわけですね。
T.Kura:そうですね。サンプリングで「他人の音楽を使って、こんな大胆なことをやれるんだ」っていうのが衝撃で、どっぷり傾倒しましたね。彼らがループして使うネタも、元は演奏されているものですし、自分は楽器が弾けたので、解析して1から作れたし、そのほうがカスタマイズしてクオリティの高いものに仕上がるはず。そういう発想が強かったです。
ーーそして、2010年には、michicoさん作詞・ボーカルディレクション、T. Kuraさんとmichicoさん作曲、T. Kuraさん編曲・プロデュースのEXILEの「I Wish For You」が第52回日本レコード大賞を受賞しました。制作過程はどんなものだったのでしょうか?
T.Kura:僕が最初にビートを作るんですけど、トップラインを作ってもらうときに、トップライナーがインスパイアできるものを作りたいっていつも思うんですよ。自然にメロディが浮かぶぐらいに。
michico:そのとき私はビジネスのためにコスタリカにいて、できあがったビートを送っていただいて聴いたんです、あえて何も発想しないでおこうって決めておいて。トップラインをスタジオに入ってつけたんです、空気感として、私の中でコスタリカの青い空がすごく爽やかに広がっていて。本当にキャッチーなものを書こうと思って。
ーーR&Bやヒップホップ色は薄いですよね。
T.Kura: LDHからヒット曲的な要素を求められてた時期だったと思うんですよね。あのときのEXILEはやっぱりATSUSHI(EXILE ATSUSHI)のイメージが強くて、「ATSUSHIが歌ったらこうなる」みたいな想像をして曲を作ることが多かったです。
michico:アルバム制作についても『願いの塔』(2011年)っていうテーマがあって、キーワードとして「Wish」という言葉を使うとわかりやすいかなって。国民的な口ずさみたくなる曲にしたいと思いました。
ーーオーダーや当時の状況に柔軟に対応した結果なんですね。
T.Kura:そうやって希望を聞いて作るんですが、結構思ったようにならないんですよ。でも、「I Wish For You」は思ったところに行ったんで、珍しいかもしれないですね(笑)。いつも彼ら彼女らがやりたいことをすごく考えて、沿うようにやるんですけど、曲って生き物みたいに、できる過程で変わっていっちゃうので、なかなかコントロールが効かないんです。でも、この曲はすごくいいところに行った記憶があるんです。最初の出だしを作ったときから「これはいける」って。
ーーそんなおふたりの考えるヒット曲を作るコツ、あるいは大衆性とはどんなものでしょうか?
T.Kura:大衆性っていうのは、時代とともに変わっていっちゃうんですけど、「I Wish For You」のときは自分のいいと思うものが時代と近かったんだと思いますね。自分がいいと思ったものを素直にやればいい時代と、学びながらの時代って、やっぱり全然違うんですよ。
ーー今はどういう感覚なんですか?
T.Kura:ちょっと余裕も出てきて、「必ずこれをしなきゃ」みたいな強迫観念はほぼなくて。それよりもアーティストの見え方を想像して曲を作ってみて、アーティストがどう反応するかによって、また変えるみたいな。やっぱり若いときと違って柔軟になってきて、「自分が絶対こうしたい」みたいなのはだいぶ減ったと思うんです。
michico:覚えやすさと口ずさみたくなる感覚は自分で褒めたいんですけど、作る上での法則はなくて。自分がメロディと歌詞を生み出していくなかで引っかかるものだし、「あらっ?」って思うものが出てくるまで粘りますね。無理矢理作り出しているときと、ぽっと降りてくるときがあって、自分で驚くときがあるというか。だから、狙って作ることがまったくできなくて。私はミーハーな感覚もあるし、新しいところができたら行きたいとか、新しい音楽を聴きたいとか、ごくごく普通の流行りものが好きな人間なので、トレンディーなものを作りたいなっていう気持ちもあります。