稲葉浩志、トップランナーであり続ける稀代の表現者 全盛期を塗り替えていくボーカルと深みのある作詞
ボーカリストとしての稲葉浩志以上に語られることが少ないのが、作詞家としての稲葉浩志ではないだろうか。初期の一部作品を除いて、B’zのほとんどすべての楽曲の歌詞は稲葉によるもの。その制作スタイルは、松本が先行して作曲に取り掛かり、ある程度のアイデアが形になったところで稲葉が作詞に移る、いわゆる「曲先」のスタイルである。松本によるキャッチーでパワフルな曲に打ち負けない言葉の強度が求められる、非常に難しい作詞作業が想像できるわけだが、実際にB’zの楽曲を振り返るとどうだろう。「太陽のKomachi Angel」の〈あの娘は 太陽の Komachi Ange!/やや乱れて Yo! say, yeah yeah!〉や、「ultra soul」の〈祝福が欲しいのなら 悲しみを知り 独りで泣きましょう そして輝くウルトラソウル〉など、ややもするとキッチュにも感じてしまうような強烈な歌詞は、松本の強烈なメロディやリフを乗りこなし、相乗効果を生み出すほどのインパクトを持っている。コピーライト的な煮詰め切った言葉の強さが稲葉による歌詞の特徴であり、B'z楽曲の特徴でもある。
そして、多くの人に響く最大公約数的な歌詞だけにとどまらないのが、稲葉の作詞家としての深みだ。特にソロ名義の楽曲において、その傾向がはっきり見えてくる。とりわけ1997年発表のソロアルバム『マグマ』は、B’z楽曲での作詞とは対照的なテーマの楽曲が多く収録されており、ネガティブな人間の内面を掘り下げた詩世界が際立つ。例えば「波」では〈すがりたい人も 待つ人も全部 なくしてしまいたい〉〈安らぎも不安も 消えることはない〉〈僕が おぼれているのは よけいなものの海なんだろうか〉、「soul station」では〈夜の闇は死ぬほど深く/僕にはどうしていいのかわからない〉〈出発したいと願ってる きっと……/どこかさい果ての場所へ誰も救えない〉と、どろどろとした溶岩のように秘めた感情を吐露しており、B’z楽曲とは一線を画した内省的な詩世界が展開されている。すべての楽曲に当てはまるわけではないが、B’zにおける作詞ではネガティブな感情をポジティブな感情に昇華させるチアフルなモチーフが目立つ一方で、ソロ楽曲ではネガティブな感情をネガティブなまま消化して先に進んでいく等身大なモチーフが印象的だ。このようなアプローチの多彩さも稲葉の作詞家としての奥深さではないだろうか。
改めて稲葉浩志という表現者を見つめ直すと、ボーカリストとしての弛まぬ努力と作詞家としての深慮な姿勢が浮かび上がってくる。30年あまり、彼の切り拓いてきた轍は、今振り返っても古びることなく、むしろ新鮮さをもって受け入れることができるだろう。そして、B'zとしての活動、稲葉浩志としての活動ともに、表現者として高い水準を保ちながら長年走り抜いてきたその足は、まだ止まることがなさそうだ。