欅坂46「サイレントマジョリティー」は、なぜ支持され続けるのか 社会状況と重なっていく楽曲のメッセージ性
『SONGS』(NHK総合)の特別編にて、欅坂46の「サイレントマジョリティー」が放送される。
同番組は「いま、あなたが『贈りたい歌』」というテーマで募集した3000件を超えるリクエストの中から選ばれた曲を、5月30日と6月6日の2週に渡りオンエア。「サイレントマジョリティー」は第2週に放送されるとのこと。(参照)
また同曲は、MTVが新型コロナウイルス感染予防を呼びかける企画『MTV Challenge』の第3回の課題曲にも選ばれている。5月31日までにハッシュタグ「#AloneTogether」をつけて投稿されたパフォーマンス動画のうち、目に留まった作品は欅坂46メンバーのコメントと合わせてMTVのWEBやSNSで紹介されるという。(参照)
2016年に欅坂46のデビューシングルとしてリリースされた「サイレントマジョリティー」。なぜこの曲は、発売から数年が経った今もなお支持され続けるのか。同曲の魅力について改めて考えてみたい。
声を上げない者たちは賛成していると…
この曲は、まずシンプルに応援ソングである。歌詞にある〈君は君らしく生きて行く自由があるんだ〉という”自分らしさ”を肯定するメッセージや、〈夢を見ることは時には孤独にもなるよ/誰もいない道を進むんだ〉という夢を後押しする言葉は、若者を中心に当時の人びとを勇気付けた。そしてもう一つ忘れてはいけないのが、歌詞に含まれる政治的・社会的なメッセージである。印象的なのが下記の2番の歌詞だ。
〈どこかの国の大統領が
言っていた(曲解して)
声を上げない者たちは
賛成していると…〉
今でこそアイドルが“アイドルらしくない”歌詞を歌うことは珍しくなくなったが、とはいえ未だにJ-POP全体を見渡しても、こうした政治的な領域に触れている楽曲は少ない。清楚なイメージを打ち出している乃木坂46の姉妹グループというのもあって、その意外性はひときわ大きかった。
また、モーセの十戒をモチーフにした振り付けや、上品でありながらも重厚な衣装、再開発中の渋谷で撮られたミュージックビデオなど、徹底して貫かれたクリエイティビティも当時のアイドルシーンで目立った要素だった。
楽曲の技術的な面で言えば、女性ボーカルにしては低いメロディや、サビ前の複雑なリズムと調の操作がよく話題に上がる。しかし、結局のところそれらは歌詞の強さをより強調するためのものであり、なんにせよ”言葉の力”が大前提にあるだろう。
歌っているのはおとなしいメンバーたち
だからと言って、歌っている彼女たちも同様に力強く積極的に発言するようなタイプの集まりだったのかと言うと、全くそうではない。メンバーはどちらかと言えば引っ込み思案で、あまり(大人の前では)喋らない、文字通りの“サイレント”な集団だった。
彼女たちの第一印象について秋元康は「おとなしいな、っていうことぐらいですかね。オーディションの段階でぴんとくる人もいるのかもしれないですけど、僕はそんなにわからないです。(中略)ただ、おとなしいからこそ、「サイレントマジョリティー」みたいな曲を与えると弾けるような気がしたんだと思います」(『クイックジャパン129号』)と語っている。この曲を歌う彼女たちは、むしろこの歌の届けられるべき“物静かな少女たち”であったのだ。
それゆえに、おそらくデビュー当初の彼女たちはこの歌を重荷に感じたことだろう。「私たちがこの曲を歌うのは正しいのだろうか」「私たちはこの曲を届けられるほど立派な人間ではない」と。そして、きっとこうも思ったはずだ。
「ならば自分たちが“変わっていく”しかない」
つまり、この曲に対するある種の根本的な構造への批判「でも結局、全部大人にプロデュースされてる子たちだよね?」という点について、彼女たちは、自らその構造から脱していくか、もしくは自分たちの意思で殻を破っていくことでしか反論できないのだ。
だからこそ、デビュー後の活動を通して見せる彼女たちの成長こそが、この曲に何よりも強い説得力を与えるという、その後の彼女たちに課題を課すかのような作品にもなっていた。彼女たちは自身の成長を通じて、この曲を歌うに値する存在になろうとしていく。その物語の始まりを告げる力を持った曲でもあったのだ。
この曲が今でも支持されているのは、未だにJ-POPの中でも突出した強さを持つ歌詞と、こうしてデビュー時から続いている彼女たちの成長物語があるからだろう。