ボブ・ディラン、8年ぶりオリジナル新曲を徹底解析 アメリカ現代史を振り返る壮大な鎮魂歌に秘められたもの
続き、4月17日には、早くも新たなバラード曲「I Contain Multitudes」を発表。こちらは親しみやすいバラード曲で、ギターとスチールギター、チェロなどが温かくソツのないバッキングをしている。
タイトルはウォルト・ホイットマンの詩から引用したもので、それを読み解くと前作よりも理解はしやすい。ホイットマンの原詩の冒頭を読んでみよう。
「I make the poem of evil also—I commemorate that part also; I am myself just as much evil as good, and my nation is—And I say there is in fact no evil.」
「私は悪の詩を作る, その一面も讃える。私自身が善であると同時に邪悪な面もある, また実際、我が国家にも私にも悪というものは存在しない」といったところ。
で、この詞の冒頭にタイトルになった「l contain multitudes.」と記してある。つまり「私は善悪を同時に包含する『多義的な存在』である」という意味なのだろう。これは、道教や方丈記のような考え方に親しんでいる日本人にとっては理解しやすい考え方なのではないか? と思う。一つの物事にも、一人の人格にも、悪とも善とも判別がつかない部分がある。一つの物事はある方向から見れば善であり、違う角度から見れば悪になる。
詞を見てみよう。2番が一番わかりやすい。
Got a tell-tale heart like Mr. Poe
Got skeletons in the walls of people you know
I’ll drink to the truth and the things we said
I’ll drink to the man that shares your bed
I paint landscapes and I paint nudes
I contain multitudes
「エドガー・アラン・ポー氏のように作り話を創作する心を持ち、
壁には知り合いの骸骨を埋めている
真実と我々のしゃべったことに乾杯!
君が寝た男に乾杯!
俺は風景を描き、同じように裸を描く
俺は(人間とは)多義的な存在なのだ」
(筆者訳)
なんとなく意味は伝わるだろう。
人間は人にもよるが、年をとると、多くのウソをつき、時には恋人を他人と共有する。ことによると他人を犠牲にする。実際、戦争や疫病のような災厄下においては、しばしば善悪の判断が裏返る。第二次世界大戦中において、日本は戦争を継続することが善だったのか? 悪だったのか? 戦争中においては誰も冷静な判断などできやしない。
また、このコロナ禍においても、集団免疫を獲得するという見地に立つならば、方策は真っ向から逆のものになっていくという場合がある。接触を禁じることだけが真実とは限らない。どんな物事でもそうだ。
人間や社会はしょせん多義的な存在なのであるという真実を、諭すような穏やかなトーンで歌う、これも今でしか味わえない、感慨を与えてくれる。知とポップの巨人が与えてくれる、時代の狭間から射抜かれた閃光、それは赤ん坊や老人さえも平等に楽しめる優しい「音楽」なのである。
今すぐ味わえ! 人生を、社会を、ほろ苦い現実を美酒に変える音楽を!
そして、この文章を提出した後に、中川五郎さんによる訳詞が到着しました。
〈Mr.Poe〉については、エドガー・アラン・ポーと踏み込まず、ポー氏と書かれています。上記の部分を載せましょう。
「ポー氏のようにわたしの心も何でも告白してしまう「告げ口心臓」だ
民衆の壁には骸骨が埋まっているよね
わたしは真実とわたしたちが言ったことに乾杯しよう
わたしはあなたのベッドを共にする男に乾杯しよう
わたしは風景画を描き、そしてわたしは裸婦の絵を描く
わたしの中にはいろんな面がいっぱいあるんだ」
こちらも素晴らしい訳詞ですので、ぜひ、お読みください。
ボブ・ディラン新曲「アイ・コンテイン・マルチチュード」の中川五郎による全訳完成!
※「最も卑劣な殺人」は中川五郎によるオフィシャル訳詞を引用。
■サエキけんぞう
アーティスト、作詞家、1958年7月28日、千葉県出身。1980年ハルメンズでデビュー、85年徳島大学歯学部卒。86年パール兄弟で再デビュー、作詞家として、沢田研二、小泉今日子、サディスティック・ミカ・バンド、モーニング娘。マクロスΔ(アニメ)、他多数に提供。著書「歯科医のロック」他多数。2003年フランスで『スシ頭の男』でデビュー、12年「ロックとメディア社会」でミュージックペンクラブ賞受賞。16年パール兄弟30周年を迎え再結成活動本格化。19年「歩きラブ」20年秋渋谷クアトロで矢野顕子と共演。ロックを中心とした現代カルチャー全般、特に映画、などに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。