J-POP史を考える新連載 第1回:リズムをめぐるアプローチが劇的に変化した2018年

 とはいえ重要なのは、どのような切り口から歴史を考えるか、ということだ。たかだか30年程度の歴史とはいえ、そもそもマーケティングのためのラベルでしかないこの音楽になんらかの実体を見出すことは土台不可能というべきだろう。なんといっても、渋谷系とヴィジュアル系と小室哲哉とビーイングを、たまたまマーケットで共存しているということだけを根拠にひとくくりにできてしまう単語だ(もちろん人物間の交流や音楽的な影響を丹念に辿っていけば、1つの地図を描くことは実際には不可能ではないだろう)。

 そこで、ヒントを求め、先述したような2018年の日本のポップミュージックをめぐる状況を改めて一瞥すると、そこに浮かび上がるのは「リズム」をめぐるアプローチの劇的な変化であることに気づく。

 ジャンルを横断する多彩なビートの上で、唱法から譜割りのレベルまで自由闊達なアプローチで日本語を操っている点は、折坂悠太、cero、星野源に共通する特色である。折坂とceroに至っては楽曲の中にさりげなくポリリズムを導入し、その特徴的なグルーヴの上で機能する日本語の配置をすでに我が物としている。また、20世紀のアメリカで育まれたソウルやR&Bの芳醇なリズム的語彙を、独自のひねりを加えながら日本語のポップスへ昇華してきた星野は、『POP VIRUS』ではフューチャーベースやフットワークといったダンスミュージックに接近した。

 日本を代表するシンガーソングライターの1人として圧倒的なカリスマを放つ宇多田ヒカルの2018年作『初恋』も、ポップミュージックとしては複雑なリズムを散りばめた一作だったことも印象深い。表題曲「初恋」に見られる通り母音を強調する特徴的な譜割りが増え、2010年代後半のヒップホップで主流となったトラップのビートにも対応して見せる。とりわけ後にSkrillexとのコラボレーションへとつながる「誓い」では、三拍子系のリズムと四拍子系のリズムを重ね合わせるような奇妙なパターンを、いともたやすく乗りこなしている。音楽全体が醸すグルーヴが、ポップミュージックとして聴き流すこともできるキャッチーさと、聴き込むほどに繊細なテクスチャを明らかにする複雑さを両立している。これは驚異だ。

 そもそも、リズムに対する日本語のアプローチの変化やリズム的語彙そのものの多様化は、昭和の歌謡曲からニューミュージック、そしてJ-POPに至るまでの歩みを振り返っても重要なトピックである。ポップミュージックにおいて、新しいジャンルの登場はすなわち新しいリズムの登場であり、そのたびにミュージシャンたちは新たな日本語との向き合い方を編み出し続けてきた。それは佐藤良明『J-POP進化論 「ヨサホイ節」から「Automatic」へ』(平凡社)で一章分を費やされる日本語詞のリズムにまつわる考察や、あるいは「大衆音楽とは、踊る音楽である」というテーゼから始まる輪島裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』(NHK出版)が紡ぐ、「リズム歌謡」を軸とした示唆に富むポップミュージック史が雄弁に証言するところだ。

 だからこそなおのこと、2018年に発表された作品の多くに、こうしたリズムの拡張が見出されることは意義深く思える。1990年代以降、すなわち「J-POPの時代」に、日本人はどのようなリズムに身を任せ、その上でどのような言葉を紡いできたのか。身体の水準と言語の水準を往還しつつ、いかにして「平成の最後」に至り、日本のリズムをめぐる一種のリテラシーが構築されたかを明らかにしていきたい。

 もちろん、リズムという切り口を主としながらも、冒頭で問題提起した「『J』以降、『内と外』論以降」の新たな語彙の構築という試みはその背景としてしぶとく残り続けるだろう。歴史を編み直すと同時に、新たな言葉の追求として、見守っていただければ幸いである。

■imdkm
ブロガー。1989年生まれ。山形の片隅で音楽について調べたり考えたりするのを趣味とする。
ブログ「ただの風邪。」

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