『Red Bull Music Academy』が示す“コミュニティの重要性”とは? ベルリン現地レポート

『Red Bull Music Academy』現地レポ

(写真=©Dan Wilton / Red Bull Content Pool)

 期間中、ファンクハウスでは、アーティストや音楽プロデューサー、レーベルオーナーなど、音楽のプロフェッショナルたちを招いたレクチャーが連日開催されていた。筆者が会場を訪問した日のゲストは、デトロイトテクノシーンをリードしてきた<Underground Resistance>のプロデューサーであるマッド・マイク・バンクスと、ベルリンが世界に誇るアンダーグラウンドテクノクラブであり、レコードレーベル<Tresor>のオーナー、ディミトリ・ヘーゲマン、<Tresor>初のレーベルマネージャーで、自身のレーベル<PullProxy>創立者でもあるキャロラ・ストーバーが登場した。テーマは「デトロイトとベルリンのつながり」だ。

 ヘーゲマンが<Tresor>を始めたのは1991年。当時はベルリンの壁が崩壊して数年しか経っておらず、統一したベルリン内では、あらゆる社会インフラやライフスタイルが激変していたそうだ。そんな中で、1980年代のデトロイトテクノに心酔していたヘーゲマンとストーバーは、ベルリンにマッド・マイク・バンクスと彼の僚友ジェフ・ミルズをオープン直後の<Tresor>に招いたことが運命の出会いとなり、そこからベルリンとデトロイトのテクノシーンの交流が始まったと、ヘーゲマンは語った。

 この出会いがあったからこそ、ベルリンはテクノの街として世界的に知られるようになった。また欧米でのテクノのリリースに苦戦していた<Underground Resistance>は、プロジェクト「X-101」による同名のアルバムを<Tresor Records>からリリースすることができたという。

(写真=©Dan Wilton / Red Bull Content Pool)

 3人は、テクノという共通言語を紐解きながら、音楽文化の海外発展や交流、都市開発、ローカルシーンの支援、次世代の育成など、あらゆるテーマにトークを広げていった。3人の話は、3時間以上にも及んだが、生徒たちはテクノの歴史誕生に関わってきたゲストの一言一句を聞き漏らさないよう聞き入っていた。

 1990年代以降、テクノ都市へ変貌を遂げたベルリンだが、今では世界有数の観光都市となり、毎週多くの旅行者が訪れる街となった。経済効果や商業の活性化が進む一方で、音楽都市としての文化的な活動の継続と発展も重要になってくる。ヘーゲマンは音楽文化を支援するアイデアについてこう語った。

「マイクと私は財団を始めるアイデアを話し合っている。Underground Resistance Foundationかもしれない。大きなテーマで考えてみたい。宇宙や人、自分の場所を持ちたいけれど持てない起業家かもしれない。(中略)私たちはもっと大勢の人が文化的な活動にアイデアや情熱を注ぐことを願っている。そうした人たちは、自分たちの場所を持つべきだ。どこでも構わない。でももし場所が買えないなら、私たちの財団が支援したい」

(写真=©Dan Wilton / Red Bull Content Pool)

 “音楽文化の発展”という意味では、大都市であるベルリンにドイツ各地から集まる若者は今でも多い。しかし、仕事を見つけられず、挫折する若者が増えているという現状の課題も深刻化しているとヘーゲマンは指摘していた。

 「『ベルリンには来るな』『地元に残れ』とは言いませんが、場所に関係なく、同じ考え方の人や、安心や刺激や力を感じることができる人との出会いを、私は常に重要と考えます」とストーバーは語り、大都市以外の場所で音楽やアートの活動を広げていくことの重要性を強調していたことが印象的だった。

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