>  >  > 様々な歌手に歌い継がれる「東京は夜の七時」

野宮真貴×小西康陽「東京は夜の七時」が色褪せない理由 25年歌い継がれる様々なバージョンを解説

関連タグ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ピチカート・ファイヴ

 まずはピチカート・ファイヴ活動時に発表されたオリジナルバージョンを見ていく。全部で6つのバージョンがある。

オリジナル・シングル・バージョン

ピチカート・ファイヴ『東京は夜の七時』(1993)

 1993年12月1日にピチカート・ファイヴの5枚目のシングルとしてリリースされたのが『東京は夜の七時』。フジテレビ系番組『ウゴウゴルーガ2号』テーマ曲(表記は「オープニングのうた」)のタイアップ付きだった。

 『ウゴウゴルーガ』は1992年10月から1994年3月、月曜から金曜の30分帯番組として早朝に放送されていた子供向けバラエティ。CGを駆使した画面構成や番組内に漂う独特なユーモアセンスなどにより、当時のフジテレビ深夜番組群と同様のカルト的な人気を集める。そして早朝の帯放送も続けつつ、スピンオフとして金曜夜19時から『~2号』のレギュラー放送が開始されたのは1993年10月のことだった。

 つまり番組タイアップありきで制作された楽曲なので、曲名も「東京は夜の七時」ということなのだろう。これは矢野顕子の1979年リリースのライブアルバム『東京は夜の7時』からの引用。同アルバムには「GOD’S LOYAL LOVE~東京は夜の7時」というタイトルチューンも収録されているが、引用されたのはアルバム名のみで歌詞やメロディは関係ない。

 また、「東京は夜の七時」には「the night is still young」という英題が付されている(ピチカート・ファイヴの楽曲は、ほぼすべてに和題と英題がある)。これも引用で、1972年のSha Na Naのアルバム名、1985年のビリー・ジョエルのシングル名がいずれも『The Night Is Still Young』。日本語に訳すと「夜にはまだ早い(浅い)/まだ宵の口だ」といった意味合いになる。

 さらにいえば、曲中サビの〈Yeah, yeah, yeah, fu〉というコーラスは、The Rolling Stones「ブラウン・シュガー」からの引用。ピチカートの人気曲のひとつ「万事快調」での〈Beep beep, beep beep, yeah〉という、The Beatles「ドライヴ・マイ・カー」からの引用と並ぶ大ネタ使いだ。

 このように「東京は夜の七時」は様々な引用で構成されているが、これは別にこの曲に限ったことではなく、ピチカートの他の楽曲でも多く見られる方法論であり、グループの音楽性でもある。フリッパーズ・ギターやオリジナル・ラブといった同じ方法論を共有するグループが同時代に多数出現したことにより、1990年代の日本の音楽シーンに渋谷系と呼ばれるムーブメントが形成されるに至った。

 「東京は夜の七時」の曲調自体は、簡潔にいえば四つ打ちリズムのハウス歌謡。1990年代初頭は、ディスコやフィラデルフィアソウルから発展した新たなクラブミュージックとしてのハウスが存在感を増してきた時期でもある。ピチカートも1992年のアルバム『スウィート・ピチカート・ファイヴ』でハウスを全面的に取り入れ、以降の音楽的支柱のひとつとした。『スウィート~』ではプログラミングとして坂元俊介の名前がクレジットされており、打ち込み曲における編曲者的な役割を担っていたが、「東京は夜の七時」でその役目を担当しているのが、ピチカート作品では初参加となった福富幸宏(クレジットは編曲)。国内クラブ/ハウス・ミュージックの先駆者と評されている福富の手腕が「東京は夜の七時」にもたらしたものは大きい、かもしれない。

 本曲がピチカート・ファイヴの代表曲と目されているのは、リリース的なタイミングも大きいだろう。1984年のデビュー以来大きなヒットに恵まれていなかったピチカートが、レーベルを日本コロムビアに移籍し、三代目ボーカリストとして野宮真貴を迎えたのが1990年のこと。アルバム『女性上位時代』を含む5カ月連続リリースなどで注目度を高め、1993年4月のシングル『スウィート・ソウル・レヴュー』がカネボウ化粧品CMソングに起用されスマッシュヒット。その直後にリリースされたのが、全国ネットのテレビ番組主題歌の「東京は夜の七時」だったというわけだ。東京の音楽=渋谷系というイメージとも結びついて、グループおよびムーブメントの代名詞的な一曲になったという捉え方もできそうだ。

 talking toolbox mix

 シングル『東京は夜の七時』のカップリング曲だったのが「東京は夜の七時 (talking toolbox mix)」。福富幸宏によるリミックスで、オリジナルの5分に対し8分の長尺となり、若干落ち着いたトーンのハウスミックス。なお、同シングルには「instrumental」、つまり表題曲のカラオケバージョンも収録されており、これも一種のバージョン違いと考えることもできる。

readymade mfsb mix

ピチカート・ファイヴ『ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ』(1994)

 前述『ウゴウゴルーガ』との企画ミニアルバムとして1994年2月にリリースされたのが『ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ』。ここではアレンジをフィリーソウル風にガラッと衣替えした別バージョンで収録(プログラミング:坂元俊介)。当初はクレジットが無かったが、1997年リリースのベストアルバム『ピチカート・ファイヴJPN』収録以降は「readymade mfsb mix」という表記が付くようになった。「mfsb」は、フィリーソウルの有名バンドであるMFSB(Mother Father Sister Brother)のことだろう。

one year after

ピチカート・ファイヴ『オーヴァードーズ』(1994)

 1994年10月リリースのフルアルバム『オーヴァードーズ』収録バージョンも、やはり他とは異なるアレンジだった。アルバム全体のプロデュースは小西康陽だが、この曲では小西と福富幸宏の連名での表記。ハウス味は残しつつ、「talking toolbox mix」の8分からさらに長い11分のロング曲となり、歌詞も一部、というより大幅に変更されている。「one year after」というバージョン名は『オーヴァードーズ』では表記されてなかったが、12インチプロモーション盤『the night is still young; one year after』からこのような表記になった。

アコースティック・テイク

ピチカート・ファイヴ『グレイト・ホワイト・ワンダー』(1996)

 ピチカートは1994年にアメリカの<マタドールレコード>から海外盤アルバムをリリースし、翌95年にはアメリカおよびヨーロッパでツアーを行うなど、海外での活動も旺盛だった。その1995年にロサンゼルスのラジオ局KCRW-FMにプロモーション出演した際、「東京は夜の七時」を小西のアコースティックギターと野宮の歌唱で生披露したことがあった。1996年リリースのレアトラック集『グレイト・ホワイト・ワンダー』にその音源を収録。

the last episode

ピチカート・ファイヴ『ピチカート・ファイヴR.I.P.』(2001)

 グループの解散日である2001年3月31日にリリースされたベスト盤『ピチカート・ファイヴR.I.P.』には「the last episode」バージョンを収録。小西の変名であるDJよしお名義でのリミックス。

その他のバージョン

 上記6つが通常作品で聴けるバージョンだが、その他にも細かなバージョン違いがあり、それらは主にプロモーション盤、アナログ盤、海外盤等に収録されている。

 例えば『東京は夜の七時』シングルリリース時の1993年に放送局などの関係者向けに配布された12インチプロモ盤(TRIAD TD-3105)には、「acappella」「tv version」が収録。前者は野宮のボーカルのみのトラック、後者は『ウゴウゴルーガ2号』オンエア用と同じように短く編集されたバージョンで、いずれもこの盤でしか聴けない。このようなバージョン違いを挙げていくと煩雑になるので本稿では省略するが、こういったマニア心をくすぐるレアトラックが、ピチカート作品には山のように存在している。

「野宮真貴×小西康陽「東京は夜の七時」が色褪せない理由 25年歌い継がれる様々なバージョンを解説」のページです。の最新ニュースで音楽シーンをもっと楽しく!「リアルサウンド」は、音楽とホンネで向き合う人たちのための、音楽・アーティスト情報、作品レビューの総合サイトです。

表示切替:スマートフォン版 | パソコン版