小西康陽はなぜリスペクトされ続ける? アイドルによるピチカート・カバー集を機に考える

20150402-konishi.jpg
『アイドルばかりピチカート -小西康陽×T-Palette Records-』(徳間ジャパンコミュニケーションズ)

 タワーレコードのアイドル専門レーベル・T-Palette Records所属グループによるピチカート・ファイヴのカバーアルバム『アイドルばかりピチカート -小西康陽×T-Palette Records-』が、4月22日にリリースされる。

 同作では、バニラビーンズ・Negicco・lyrical school・ワンリルキス・アイドルネッサンスの5組が参加し、小西が総合プロデュースおよびアートディレクションを手掛けることが明かされている。2001年までピチカート・ファイヴで数々の名曲を生み出し、解散後は小倉優子の「オンナのコ♡オトコのコ」や「慎吾ママのおはロック」という様々なヒット曲を生みだすなど、プロデューサー・コンポーザーとして活躍してきた小西。彼が高い記名性を保ちながら、長年にわたってリスナーを魅了している理由とは何か? 音楽ジャーナリストの柴 那典氏は、まずピチカート・ファイヴがブームを先導した90年代の「渋谷系」についてこう語る。

「ピチカート・ファイヴは渋谷系とカテゴライズされたアーティストのなかでも、フリッパーズ・ギターとともに代表格として活躍しました。そして、フリッパーズの小山田圭吾と小沢健二は自身で曲を書いて歌うアーティストだったことに対し、小西はポップアイコンを立てて曲をプロデュースするやりかたをピチカート時代から基本的にずっと貫いてきているのが特徴です。渋谷系というムーブメント自体は1990年代末に勢いを失い、一方でCoccoや宇多田ヒカル、椎名林檎という自作自演系シンガーソングライターが台頭します。ピチカート・ファイヴも2001年に活動休止しますが、しかし小西自身の評価はブームの浮沈に左右されることなく、その後も作曲家としてヒットを生み続けてきました。2000年代以降、小西を含めた渋谷系のクリエイターが多数プロデュース・作曲サイドに回ったことで、現在のアイドル・声優・アニソンシーンを活気づけた面もあります」

 続けて同氏は、渋谷系ブーム以降も小西の楽曲が表舞台でヒットし続けたことについて「最初から普遍的なものであった」と語る。

「小西の音楽が色褪せなかったのは、本人も『1974年以降の音楽は聴かない』と公言していたくらい、過去の音源からの影響を前面に出しているからだと思います。つまり、90年代の時点で彼の音楽は最先端というよりも、ある種のレトロ感がオリジナリティーとなっていたため、時代を経ても古いものになりにくかった。もちろん、誰がヒップかというような時代の移り変わりはあるけど、その度に彼の曲を歌うポップアイコンが変わればまたヒットするわけで、ブームの終焉とともに消えていくものではありませんでした」

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アーティスト分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる