柴 那典の新譜キュレーション 第11回
小沢健二からギリシャラブまで……“言葉の魔法”でつながるアート・ポップ6選
今回のキュレーション原稿のセレクトは、「言葉の魔法」を感じるアート・ポップ6曲。というより、正直なところを言うと、小沢健二の新曲「流動体について」がとても素晴らしかったので、この曲が持っている“血脈”のようなものを今の日本の音楽シーンにどのように接続することができるだろうか? という観点から考えを巡らせて、セレクトしてみた。
言葉は都市を変えていく――小沢健二「流動体について」
というわけで、まずは小沢健二「流動体について」から。去年のツアー『魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ』でも披露されていたこの曲は、ライブでのバンド編成ではなく、躍動的で活き活きとしたストリングスをフィーチャーしたポップソングのスタイルでレコーディングされた。
そのサウンドや彼の声と歌い方についても語るべきことは沢山あるのだけれど、やはりゾクゾクするような興奮をおぼえるのは、言葉の持つ、まさに“魔法”と言うべき力だ。もともと小沢健二は「歌詞の人」だった。「ほんとうのこと」とか「神様」とか、そういう根源的なイメージを果敢に使いつつ、ギリギリで正気を保ってポップの側、資本主義の側に立っている。それが(少なくとも90年代までの)小沢健二のトーン&マナーだった。
一方、00年代後半、『Eclectic』を経て『Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学』や童話『うさぎ!』以降はそれが大きく変わる。その頃の彼が繰り広げていたのは、世界各国を回る中で気付いた、資本主義の裏側にある裂け目の報告だった。明らかにポップというものには背を向けていた。あえて情報を拡散しないスタイルで行われた一連のイベントのようなものもそうだった。だからこそ熱心なファンとそうではない人たちの間では少しずつ断絶が生まれた。そうした一連の中で彼はアメリカ人写真家の妻、エリザベス・コールと出会い、2人の子をもうける。
そして小沢健二は東京に戻ってきた。曲のテーマは「並行世界」。歌詞は<羽田沖 街の灯がゆれる>と始まる。羽田空港に降り立った主人公が首都高速を抜けて、港区、東京の真ん中に戻ってくる。いろんな人が指摘しているとおり、ここにはニューヨークのJFK空港に旅立つ「ある光」との対称性があるのだろう。もしくは『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でこの曲から続けて演奏した「ぼくらが旅に出る理由」かもしれない。
もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
平行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな
(「流動体について」)
彼はそう歌う。つまりこれは「もし自分が90年代の狂騒のままに暮らしていたら?」という問いだ。その仮定の先にある自分はどんな毎日を過ごしていただろう、子供たちは違う子だっただろうか、と。このあたりの感覚は東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』を引き合いに出して語ることができるかもしれない。あれも平行世界を舞台にした父親と子供のストーリーだ。
とはいえ、決定論の前で人は無力である。いくら並行世界を思い浮かべたとしても、過去を変えることはできない。<神の手にあるのなら その時々にできることは 宇宙の中で良いことを決意するくらい>なのである。しかし、それを踏まえた上で小沢健二は<だけど意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく>と歌う。
ここには、とても強い決意とポジティビティがある。「良いことを決意する」ことが、「都市を変えてゆく」ことに結びつくことがストレートに示される。つまりは、これはポップ・ミュージックの肯定と捉えることもできる。
たんに「戻ってきた」わけじゃない。そういう根本的なモードの変化を、僕は、今の小沢健二の新曲に感じる。