2024年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】 “クリエイター”をめぐる環境変化の1年

2024年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】

 2024年のアニメーション業界を概観したとき、そこには2つの特徴が明確にあらわれている。まず第一に、クリエイターの多様化である。あらゆる人々が、またさらに言うならAIすらもが、現在ではクリエイターになり得る。そしてもう1つは、視聴者層の多様化だ。アニメは全世界の、そして様々な年齢の人々が触れるメディアである。とりわけ情報が圧倒的な速度で伝播してゆく今日において、世界各国の視聴者は常に一定の存在感を放ち続けている。

 これらの特徴はインターネットが生活のあらゆる地点に遍在し、そして何よりアニメが身近なものになったことでいっそう際立ってゆく。2024年4月にリニューアルされた「SHIBUYA TSUTAYA」は、まさにその象徴と言ってもよいだろう。

 そのような状況下で、日本のアニメーション産業はどのような航路を採るだろうか。リアルサウンド映画部では、アニメ評論家の藤津亮太、映画ライターの杉本穂高、批評家・映画史研究者の渡邉大輔を迎えて座談会を行い、2024年の話題作を振り返りながらアニメーション業界の動向について語ってもらった。

『ルックバック』のグローバルな評価と「クリエイターもの」のゆくえ

「ルックバック」公開記念新PV

——2024年のアニメーション映画について語るとき、必ず話題に挙がる作品が『ルックバック』だと思います。まず初めに、本作について所感を伺いたいです。

杉本穂高(以下、杉本):『ルックバック』は本当に素晴らしかったですね。アヌシー国際アニメーション映画祭でインターナショナルプレミアが行われたのですが、そこでの評価がとても高かったことで現地で海外配給がいくつか決まったと聞きました。動員数は海外全体で213万人以上、興行収入は約21億円と国内を上回っているようです。

藤津亮太(以下、藤津):年の瀬に振り返ると、『ルックバック』は必ず名前が挙がりますね。海外の展開の話で面白かったのは、日本国内ではODS(非映画コンテンツ)の普及のおかげで、60分尺の特別料金という体系に一定のファン層が慣れつつあることに気づかされたことでした。というのも中国とアメリカでは58分は短すぎて上映できないため15分程度のインタビュー映像を追加し、75分にして上映したそうなんですね。その点で日本の映画館は融通が効くというか、柔軟に対応できるという良い部分もあるなと感じました。

杉本:その点については確かに、日本の映画館は結構自由だと思います。58分の映画でも問題なく上映できるのはもしかしたら日本くらいかもしれませんね。

——『ルックバック』では「ものづくり」の素晴らしさを訴え、それを素直に視聴者が受け取っていた印象です。言ってしまえばそれは「クリエイター至上主義」的な見方もできるように思うのですが、この点についてはいかがだったでしょうか?

藤津:『ルックバック』を作家の話として観るかどうかがまず問題になると思います。私は作家の話だとは思わずに観た部分があって、むしろ『ルックバック』は人生とか、運命についての話だと感じました。確かに作家の話として観れば創作に携わったことがない人には理解しづらいかもしれませんが、作家というわかりやすい存在を通じて人生の「不確実性」や「運命」を描いているのだと私は受け取りました。人生は進めば進むほど、背負っていくものも増えていく。『ルックバック』は、それを若い段階で背負ってしまった人の話を描いているという理解でした。その意味で『ルックバック』には普遍性があったと思います。

杉本:『ルックバック』は漫画家を題材にしており、藤本タツキさんの実感がこもった作品でもあります。当事者性と普遍性のバランスをうまく取って構成されていましたね。映画ではそれに加えて、押山清高監督がアニメーターという、絵を描く職業人として自身の当事者性を反映させつつ作ったという点で熱量が生まれ、普遍性も同時に持ち合わせた作品になっていました。業界としては、こういう、幸福な組み合わせはなかなか生まれないと思うんですよ。

渡邉大輔(以下、渡邉):私は杉本さんの感想と藤津さんの感想のちょうど中間くらいの立場だと思っています。『ルックバック』は、作家の話ではなく、むしろ非常に一般的な人生の話だと感じました。一方で、杉本さんが言うように、藤本さんの当事者性が反映された部分もあると思います。そもそも作品自体が「ものづくり」の話なので、一種のメタアニメと言えるかもしれませんね。今年は『ルックバック』も含め、創作やアニメ作りをテーマにした作品が多かったと思います。例えば、『数分間のエールを』や『ファーストライン』もアニメ制作の過程を描いた作品です。『ルックバック』や『数分間』のような作品が自己言及的に描かれた背景には、現在が誰でもコンテンツを作れる時代になっている影響があると思います。

 私見ですが、これには生成AIの存在感の高まりを補助線にするとよりわかりやすいと思うんですね。生成AIを用いれば少なくとも背景などは誰でもプロ並みのクオリティを出せるようになったので、アイデアやコンセプトさえあれば、すぐにハイクオリティな作品が作れる時代になりつつあります。漫画業界では最近CGやAIを使った漫画投稿者が増えたことで、10年前と比べて投稿数が大幅に増加しているそうです。そう考えると今年の『ルックバック』などの作品には、誰でも作れるからこそより素晴らしいものを作りたいという、クリエイターとしての欲求や自己表現の衝動が織り込まれているように見える。10年後、15年後には、AIが人間を介さずに面白い作品を作れる時代が来てもおかしくありません。だからこそ、人間はどんな理由で作品を作るのかというクリエイティブの本質について問われていると思います。そのとき「描きたい」という衝動がクリエイティブの人間的な側面における最後の力強さとなるというというのは、わかる気がするんですよ。

藤津:生成AIと「クリエイターもの」アニメの出現に現象として直接関係があるかどうかは別として、並べてみると、2024年という年がクリアに見えてくるのは明らかですね。私も最近AIを用いて作られた海外の長編作品を観る機会があったのですが、正直あまり良いとは思いませんでした。どういう演出機能を期待してそのカット(ショット)を組み合わせていくのか。その感覚がまったくない編集――絵コンテがあったのかなぁ?――だったんですね。その意味で映画などの蓄積を参照しながらどのようにAIによる各カットの絵をはめていくか、流れを作るかを考えるというのは、現状人間の仕事で、そこが弱ければなんにもならないのだなと思いました。

杉本:映画が生まれた当初、映画には著作権がなかったわけですが、それは手で描いていないという理由からでした。写真や動画が創作物として認められるようになったのも、その後の歴史の積み重ねがあったからです。その意味で僕は今後歴史を重ねていくことで、創作物として誰もが認められるような新たなクリエーションの誕生に期待したいです。(※1)

『きみの色』と2024年国内アニメ作品におけるミザンセーヌ

『きみの色』予告①/8月30日金公開

——おっしゃる通り、創作において人間の手作り感を取り戻したいという意識は確かにあると思います。AIやデジタルメディアの進化により制作の自由度が増えた一方で、人間的な制約があるからこそ生まれる価値もあると思います。その意味で『きみの色』は、メンバーの身体性から選ばれた楽器によって成り立つ作品でしたがいかがだったでしょうか?

杉本:『きみの色』は日本では興行的に少し苦戦していますが、多くの国で公開されることで作家性のある作品もリクープできるルートが作れるかもしれないと感じています。この作品のいち要素であり、最近また盛り上がっている「ガールズバンドもの」も、広義にはクリエイターの話ですよね。直接の要因としては歌って踊るアイドルものが一段落してきたことで揺り戻しのような形で注目されている部分が大きいと感じますが、クリエイターの話とも繋がっている部分もあるかもしれません。

藤津:今年は『ガールズバンドクライ』がヒットしましたね。「アイドル」ものに近いビジネスモデルを採用しつつもかなり複雑なCGが使われていて、細部にわたるこだわりが感じられる、非常にクオリティが高い作品でした。『ラブライブ!』シリーズのように演奏やライブシーンにだけCGを使うようなケースもありますよね。『BLUE GIANT』も難しいところはCGを使ってアップで映し、手で描けるところはなるべく手描きでという使い分けをしていました。一方で『ガルクラ』はシームレスに演奏パートとほかのパートをCGで描き、日常カットはかなり調整を加えて自然にアニメっぽく見えるように仕上げていた。しかも花田十輝さんらしい直球のドラマが展開されていたので面白かったです。

杉本:「イラストルック」と制作者たちは呼んでいたと思いますが、『ガルクラ』のCGルックは非常に新鮮でした。日本のアニメでもルックデベロップメントがかなり重要視されるようになってきています。『数分間』も非常に個性的なルックを作り上げていますね。これからこうした試みがどんどん増えることで、日本のアニメ表現がさらに変わっていくと感じています。

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藤津:CGはさまざまなルックを取れるのが特徴なので、挑戦できるならもっと様々なことに挑戦するべきだと思います。今は見慣れているセルルックのCGが無難に使われていることが多いですが、もう少し攻めてもいい。一方で手描きアニメとしては、『きみの色』のルックは非常に繊細にコントロールされていて、これはこれで結構攻めていると感じました。

渡邉:『きみの色』の色調は、私も特殊だなと感じました。もちろん作品自体は素晴らしく、なにか賞を獲る可能性も高いと思います。ただストーリーはちょっと綺麗に作りすぎたというか、地味だったという印象も受けました。けれどそれは、裏を返せば山田尚子監督の強い意志を感じる出来になっているということでもあると思います。

杉本:そうですね。僕は全体的に軽快に進んでいく雰囲気が素晴らしいと思いましたが、もう少しドラマの起伏があればもっとわかりやすい作品になったかもしれません。『きみの色』はわかりやすく1つのジャンルで説明できる映画ではありませんが、そういう映画が大ヒットとは言わずとも話題になること自体が、アニメに限らず珍しいことで、オリジナル作品だからこその魅力があると思います。売るのは難しそうという感じはしますけど、そういう映画をすくい上げるのが映画祭などの役割であって、アヌシーで話題になってそれなりに国外でも興行されているという点で、うまくいっている気がします。川村元気さんが今後山田監督をどうプロデュースしていくのか、その舵取りの方向性は気になっています。

藤津:大きな事件をなにも起こさせないという山田監督の強い意志は自分も感じました。登場人物たちが自分を表現できない中で少しずつ解放される様子が描かれていて、そこに面白さがあったと思います。脚本の吉田玲子さんと山田さんとのタッグでバンドものということで、『けいおん!』が思い出されますけれど、むしろ出来上がったのはストイックな『リズと青い鳥』のさらに先に行っている印象でした。

——今年は長井龍雪、岡田麿里、田中将賀チームによる新作『ふれる。』も公開されました。

藤津:『ふれる。』も川村元気さんがプロデュースしていましたね。川村さんは多分「日本のアニメ監督って渋好みが多いんだな」と思ったのではないでしょうか(笑)。逆に言うと、川村さんが関わった監督の中では新海さんが特殊な存在なのだと思います。作品としては少し地味ではありますが、幼馴染の男子グループが、年齢を重ねていくについて関係が微妙に変わっていく様子がテーマになっていて、そこがテーマになるんだという驚きと、友達に感じる優越感と劣等感が入り交じる部分は個人的に共感しましたね。

杉本:自分も似たような感想です。面白くないことはないですが、攻めた作品かと言われるとそうでもない。秩父を舞台にしていたこれまでの作品と異なり、岡田さんたちの中から出てきた衝動のようなものはあまり強く感じなかったという印象です。ただ、岡田さんの描く人間関係の面白さはすごく出ていますし、理想が入っていない女性キャラクターを描けるのも特色だな思います。生々しい女性キャラクターをアニメで表現できるのは岡田さんの美徳だと思うので、それは大事にしてほしい。

渡邉:自分もそうですね。『ふれる。』はあまり引っかかりませんでした。企画が先行しているように見えましたね。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のように小学生くらいの年齢だったらもう少しいろいろやれたのかもしれないとは率直に感じました。

ただ、『ふれる。』に登場するふれるを通してその人の気持ちが分かるという設定は、『きみの色』にも共通する設定で、今どきの若者のコミュニケーションというか、軋轢を避けたいというメタファーとして描かれていたと思います。だから、その意味では本当に岡田麿里さんらしい脚本でした。

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