『ブギウギ』“りつ子”菊地凛子が体現する淡谷のり子の精神性 歌に熱狂した人生を辿る
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』第9週で、いよいよ戦争がスズ子(趣里)の仕事に影響し始めた。ぜいたくを禁止する法律が施行されたことで、警察はスズ子にトレードマークのまつげを外すなどなるべく地味な容姿で、“三尺四方”の枠からはみ出さずに歌うことを強要したのだ。お国から目をつけられては、梅丸楽劇団の存続に関わるため、なんとか従おうとするスズ子だったが、なかなか客を喜ばせられないことに悩んでいた。
一方で、りつ子(菊地凛子)は羽鳥(草彅剛)曰く「いくら縛られようがどこ吹く風」で、警察にも「私は夢を見させる歌手よ!」と主張している。梅吉(柳葉敏郎)の塞ぎ込む様子や元気のない羽鳥を見ているこの頃、りつ子の我の強さはなんだか芯が通っていて輝いて見える。りつ子もドラマの主人公になれそうなくらい強烈なキャラクターだが、モデルとなった淡谷のり子とはどんな人生を送ってきた人物だったのだろうか。
淡谷は1907年(明治40年)、青森県青森市に生まれた。1914年(大正3年)生まれのスズ子のモデルである笠置シヅ子よりも7歳年上だ。実家は地元の豪商であったが、ある時、大火によって店が焼失。淡谷の父は再建を目指すも、淡谷が10代の頃には実家が破産する。父に愛想を尽かした母と妹とともに上京した淡谷は音楽好きの母の影響を受けて、声楽家を志すも、入学を希望していた東洋音楽学校の校長からなぜか声楽科にいくことを反対され、同校のピアノ科へ入学することとなった。
だが、そのピアノ科で転機が訪れる。ある講師が担当する講義にて、教則本を歌った淡谷は、彼女から声を掛けられ、数日後に行われる声楽科への編入試験を受けることを勧められたのだ。受かる自信がなく、難色を示した淡谷だったが、講師からの猛プッシュに観念して試験を受けると受験者の中でたった1人の合格者に。淡谷はその講師から直々に指導を受け、クラシック音楽の基礎を徹底的に学んだ。
さらに、その後、淡谷の指導を引き継いだのはドイツのソプラノ歌手の弟子だった女性。その女性はかなり厳しく、朝、淡谷を自宅に招いて発声練習をさせ、淡谷はその練習の後に学校へ行くという生活をしていた。そんな二人三脚で毎日、みっちり行われた指導によりファルセットの歌唱を体得した淡谷は声楽科を首席で卒業し、出演した演奏会では「十年に一人のソプラノ」と絶賛されるまでになった。