『GONIN』を観るのは今からでも遅くない! 90年代が焼き付けられた刹那的な美しさ
傑作映画オタク青春マンガ『怒りのロードショー』には素晴らしいエピソードがいくつもあるが、映画好きみんながなぜか『E.T』(1982年)を観ていないという回がある。面白いのはわかっているが、なぜか観たことがない。映画好きならば誰にでもそんな作品があるのではないだろうか。自分にとっての『GONIN』(1995年)がそれだった。
「確かに面白いし自分の好みなのはわかっている。でも、今日は中国の尺が70分くらいしかない安イップ・マン映画を観る気分なんだ」
そんな感じで先送りにしてきた。そして先日『GONIN』がYouTubeチャンネル「松竹シネマPLUSシアター」で全編無料公開されていることを知った(10月19日まで)。人生とはタイミングだ。マッコールさんもそう言っていた。このまたとない機会を逃すわけにはいかず、ついに『GONIN』を観た。
なぜもっと早く観なかったのだろうか? 遅れて名作を観る度に思うが、『GONIN』はことさら強く思った。なぜこの激しく刹那的で美しいバイオレンス映画をもっと早く観なかったのだろうか。雨に打たれる本木雅弘の美しさ、異形の存在感を放つビートたけし。彼らの鮮烈な生き様が焼き付いて離れない。自分と同じ後悔をする人を少しでも減らせるように『GONIN』という作品に対する所感を述べる。
『GONIN』が公開された1995年。残念ながら自分はまだぎりぎり生まれていなかったので、どういう空気感だったのかは知らない。小学生の頃、担任の先生が「君たちは本当に暗い時代に生まれてきた」と言っていたのを覚えている。90年代のほとんどをものごころがついていない状態で過ごしたので当時はよくわからなかったが、そうとう暗い時代だったらしい。少なくともこの映画に出てくる登場人物は、未来に希望なんてなにもないような目をしている。リストラされたサラリーマン。汚職で逮捕された刑事。パンチドランカーのボクサー。落ち目のディスコのオーナー。時代の潮目において、どいつもこいつも人生に行き詰っていた。そんな中で強請り屋の三屋(本木雅弘)だけはギラギラとした目をしているが、なんてことはない刹那的に今を楽しんでいるだけだ。
この90年代の暗さを象徴しているのがオープニングタイトルだと思う。東京の景色を鳥瞰で映すオープニングタイトルはとにかく暗く、冷たく、深い。今渋谷の夜景を俯瞰で撮ってもこのようには映らないだろう。極彩色のネオンサインが暗い時代を誤魔化すようでよりもの悲しい。
人生に行き詰った落ち目のディスコのオーナー万代(佐藤浩市)は上記の四人を集めて一発逆転を狙って暴力団の事務所に押し込み強盗を仕掛ける計画を企てる。当然大抵の映画ではろくなことにならない展開だ。これでなんとかなったのは『ワイルド・スピード MEGA MAX』(2011年)しか知らない。当然『GONIN』のメンバーたちが高所から落ちてもボンネットに着地すればなんとかなるような超人ではない。一つのほころびからビートたけしと木村一八の殺し屋コンビに狙われ、破滅の一途をたどっていく。
こう書くと『GONIN』は救いのない暗い映画のように思える。確かに『GONIN』は暗く破滅的な映画だが、同時にとてつもなく美しい映画でもある。なぜなら本作は壮絶なラブストーリーでもあるからだ。『GONIN』はそれぞれのキャラクターの愛の帰結を描いているが、主題となる万代と三屋、2人の男のラブストーリーは鮮烈な美しさを伴って心に刻まれる。