異端の日本映画『GONIN サーガ』が描く美学ーー根津甚八を蘇らせた石井隆の作家性とは
閃光と雷鳴、土砂降りの雨。斜めに歪んだ字体。紛れもない石井隆監督作の刻印を残しながら、犯罪アクション映画『GONIN サーガ』は、さらにギラついた熱気と尋常でない緊張感を加え、見る者を圧倒する。あの『GONIN』の正統的な続編であれば、それも当然だろう。今も語り継がれ根強い人気がある『GONIN』。19年前に突如出現した、この異端の日本映画は一体何だったのか。そして、その後の物語をつなぐ狂気の新作、『GONIN サーガ』は何を描いているのだろうか。出来る限りその正体に迫っていきたい。
『GONIN』とは何だったのか
1995年、バブル崩壊後の新宿が『GONIN』の舞台だ。バブルの象徴であるディスコクラブの経営不振や、会社のリストラなど、不況の時代を象徴するように、金に困った五人の男達が集まり、暴力団・大越組の事務所を襲撃し大金を奪う。五人の男を演じたのが、佐藤浩市と本木雅弘、そこに石井隆監督作の常連である根津甚八、竹中直人、椎名桔平が加わる豪華俳優陣だ。大越組を取りまとめる五誠会は、金を盗んだ五人組とその家族に死の報復をするべくヒットマンを雇う。大きなバイク事故から復帰したばかりのビートたけしが演じる、この異常なヒットマンが現れると、フラメンコのカスタネットの独奏が流れ、死の舞踏が始まる。ヒットマンに追い詰められて、仲間や家族を殺されていく男達。物語は、狂った血みどろの復讐合戦に突入していく。
ここで描かれる容赦ない暴力や、即物的といえる呆気ない死の演出、また同時に感傷的なファンタジーであるようにも見える、相反する美学的表現が、『GONIN』、そして『GONIN サーガ』の脚本と演出を務めた、石井隆監督の個性だ。死や暴力に接近すればするほど、血が流れれば流れるほど、むせ返るような色気が漂ってくるという、アブノーマルな作品世界である。出演者はそれぞれ、この絶えず狂気と隣り合うような役を、鬼気迫る表情で、生き生きと演じているように見える。襲撃のシーンでは、組事務所の長テーブルの上を走り必要のないスライディングするという、過剰なアクションが展開する。
石井隆は、70年代の劇画ブームのなかで、劇画作家として成年向け雑誌に作品を発表していた。その細密な画風と表現力、叙情的演出は、まさに映画的な画面を誌面に表現しており、映像作品を手がけたいという強い欲望を感じさせる。連載作品「天使のはらわた」は、日活ロマンポルノとして映画化され、自身もロマンポルノ作品の脚本を手がけ、やがて念願であった映画監督として、映像作品の演出に乗り出すことになる。劇画作品同様、映画監督としても、エロティックな題材で男女の愛憎を描き、とくに『死んでもいい』や『ヌードの夜』は、独特の美学と才気みなぎった傑作であり、評価も高い。彼の才能を育てたのは、劇画とロマンポルノという、当時の日本で最も刺激的で先鋭的なフィールドであった。
監督作の多くに出演し、盟友ともいえる俳優・竹中直人は、主演した『ヌードの夜』撮影中、石井監督に、ニューヨークでクエンティン・タランティーノという監督の『レザボア・ドッグス』という、男だけのドラマを描いた映画を観た話をしたという。そういう映画を撮ってみたらどうかという彼の提案によって、『レザボア・ドッグス』を観ないうちに監督によって書かれた『GONIN』の、男の色気と暴力に満ちたシナリオは、なんと松竹が配給し、メジャー作品として制作されることが決まったのだ。
『GONIN』の最も驚くべき点は、豪華なキャストが集められ、監督にとっても初めての大きな作品であったにも関わらず、そのような一般的には理解しづらいアブノーマルな作家性を、そのまま最大限発揮し、狂気に満ちた暴力表現を前面に押し出すことができたというところである。広い観客に向けて穏当な表現に甘んじることをせず、また安易に「売れる」ような要素を散りばめなかったことが、『GONIN』の存在価値を高めている。いまでも『GONIN』が一部で人気を集め、高く評価されているのは、これがある意味で、唯一無二といえる奇形的作品であるからだろう。
バブル崩壊とともに映画会社の意気も消沈し、意欲的な企画が減少していく状況のなかで、邦画の作り手達は、映画を商品として成り立たせつつ、その枠の中で自分の味を少しでも出せればいいという考えにシフトしていき、スケールの大きな大監督のような存在は消えていった。石井隆監督自身も、この作品の後の企画では、その現実の中で多くの監督と同じように商業性とのバランスを取ってきた部分がある。そのような状況下で、石井監督は『GONIN』の続編を何度も企画していたという。本作『GONIN サーガ』は、19年後、やっとその執念を実らせた苦心の作なのである。そしてそれは、驚くべき映画となった。