“SNS特攻”の台湾ホラー『呪詛』 NetflixからTwitterへ拡散する恐怖と呪い
また、本作の魅力はビジュアルの素晴らしさにもある。怖いのが苦手な筆者が配信日に観てしまったのも、生理的嫌悪感を抱くような、されど思わず覗き見てしまいたくなるような蠱惑的なビジュアルに惹かれたからだ。本国の宗教画のようなビジュアルポスターやカルト村の空気感。大黒仏母像のデザインに主人公が助けを求める廟の怪しげな雰囲気。どれをとっても底抜けに恐ろしく、されど魅力的だ。そして謎めいている。それこそ禁忌を犯して覗いてみたくなるほどに。
ホーホッシオンイーシーセンウーマというのはかなり印象的なワードだ。作中で繰り返し使われるだけでなく、物語において象徴的な仕掛けとして作用している。我々がTwitter上でやたら「ホーホッシオンイーシーセンウーマ」と呟くのは幾重にも折り重なった意図が存在する。そのひとつは、ただふざけているだけ。みんなもホーホッシオンイーシーセンウーマと言ってるし、そういう空気にとりあえず乗っかるのは楽しいからだ。あるいは、恐怖を薄めるため。ふざけているのは前者と変わらないが、恐怖の共有とネタ化は恐怖を薄める作用がある。近年のTwitter上での八尺様の扱いがその最たる例だろう。筆者が学生の頃読んで恐怖に震えた洒落怖が、今ではインターネットのおもちゃにすぎない。だから『呪詛』も少しでもネタ化して、恐怖を薄めるためにおどけたように「ホーホッシオンイーシーセンウーマ」と呟いてみせる。そして恐怖の感情をシェアすることで安心感を得るために。
しかし本作においては、恐怖を薄めるその行為自体が映画の物語とリンクしてしまい、必然的に恐怖と呪い、すなわち『呪詛』という映画そのものを拡散することに繋がってしまう。恐怖は薄まるが、『呪詛』は拡散される。ケヴィン・コー監督はかなり意図的にSNSと呪いの繋がりを作り出しているように思える。本作がNetflix配信なのも(台湾では劇場公開)その意図をより効果的に実現させるためだろう。『呪詛』はまさに“SNS特攻”のホラー映画なのだ。
本作が我々の現実に浸食するタイプのホラーでも特に恐ろしいのは、そういった我々の意識、行動すらもコントロールしてしまっていることだろう。ケヴィン・コー監督は恐怖の感情に対する人間の反応を深く理解している。そう思えてならない。というわけで極上の恐怖と監督にコントロールされる感覚が味わえる『呪詛』を観て、あなたもホーホッシオンイーシーセンウーマしよう。待ってるよ。
■配信情報
『呪詛』
Netflixにて配信中