『ミズ・マーベル』は何を成し遂げたのか ムスリムカルチャーと新たなMCUへの入り口に

『ミズ・マーベル』が成し遂げたこと

 マーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)もフェーズ4の作品がそろそろ出揃ってきたような印象だ。特に、本フェーズの大部分はドラマシリーズで担われており、例年に比べて私たちはかなり多くのマーベル作品の新作を観ることができている。だからこそ、スタジオ側の新たな試みを多角的に感じられるのだが、その中で『ミズ・マーベル』は突出して新鮮で、素敵な作品だったように思う。

 本シリーズが良かったのか、イマイチだったのかを考える上で、本作があくまで次世代のマーベルファンにアプローチするかのような、ティーン向け作品として仕上がっていることを念頭に置かなければならない。主人公カマラ(イマン・ヴェラーニ)と、彼女の友人たちの日常的なやりとりや本作のコミカルなシーンには、どこかディズニー・チャンネル作品のような雰囲気がある。最後の学校を舞台にした『ホーム・アローン』的な作戦も、10代のクラフト感溢れる仕掛け満載で、ワクワクすると同時に微笑ましいものがある。それでも、“大人のマーベルファン”も楽しめたのは、本作がムスリムカルチャーにおけるレプリゼンテーションを的確な形で成功させたからではないだろうか。

 そもそも、マーベルが人種における多様性を意識したのは今に始まったことではない。とはいえ、このフェーズ4は過去のフェーズに比べて圧倒的にそういった意識改革が作品に色濃く投影されているようにも感じる。『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』では黒人であるサム・ウィルソン(アンソニー・マッキー)がキャプテン・アメリカになる過程を描き、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』では中国系のMCUヒーローが誕生した。『エターナルズ』では、アメリカのほかにスコットランド、韓国、メキシコ、パキスタン、アイルランド、香港、イギリスとさまざまな出身やルーツを持つ俳優陣が集結し、『ムーンナイト』ではエジプトが舞台に神話が描かれた。そして『ミズ・マーベル』と続くわけだが、興味深いのはエジプトにパキスタンと、MCUドラマシリーズが連続してイスラム教の地域にスポットライトを当てていることである。

パキスタン系アメリカ人のリアルとルーツを描く作品として

 その中で『ミズ・マーベル』は、私たちにアメリカに住む10代のパキスターニの生活を等身大の目線で教えてくれた。なによりムスリムの視聴者、特に若い世代から「かなり正確」という声が上がっていることが印象的なのだ。それは例えば、お母さんが門限から着る洋服までめちゃくちゃ厳しいことだったり、カマラがアラビック表記の自分の名前やナザール・ボンジュウのネックレスをしていることだったり(これもパキスターニ女子あるあるらしい)、おばさんがずっと噂話をしていたり(イルミナンティというパワーワード)、結婚をすることが重要視されていることだったり……。一連のモスクのシーンも非常に正確であると言われているが、ムスリム文化に馴染みのない私たちにとっては新しい発見ばかりだ。恥ずかしながら、初めて知ることが多くて勉強になった。

 特に2000年代前半からテロが相次いだことで「イスラム教徒」は世界的にあまり良いイメージを持たれず、偏見を持たれたに違いない。しかし、だからこそ知り得なかったムスリムのカルチャーを等身大の主人公カマラを通して、より等身大に伝えていく。確かに勉強になることが多いが、それ以上にそれが“押し付けがましい教育的”になっていなくて、とにかくポップで楽しげに描くものだから内容がすんなり入ってくる点が非常に観やすくて良かった点だ。物語でも重要になってくるインドのパーティション(分離)のストーリーは、当時のことを知らないカマラが追体験する視点で描かれるからこそ理解しやすくなっているのと同時に、アイシャが普通に暮らせていた日々に起きてしまった変化を通して、その不条理さも伝わるようになっていた。

 そして本シリーズは、カマラが超能力を授かってヒーローになるまでの過程を描いたものというより、彼女が自分のルーツや先祖の痛みを理解し、自身のアイデンティティを確立させる物語になっているのも興味深い。彼女がコミックでもお馴染みの「ミズ・マーベル」になっていくために必要なアイテムを家族や同郷の人間から貰って集めていく過程にもこれは表れている。祖母からバングル(パワー)を、親友のブルーノ(マット・リンツ)からアイマスクを、レッド・ダガーのカリーム(アラミス・ナイト)から赤いスカーフを、ワリード(ファルハーン・アクタル)から全ての糸に歴史がある布を、母親(ゼノビア・シュロフ)からコスチュームを、父親(モハン・カプール)から名前を……。こうしてカマラは彼女の家族、そしてコミュニティのためのヒーローになるのだ。しかし、それでも「ムスリムの人たちだけの話」にとどまらないのは、こういったルーツの回帰、自己を確立する旅が、全ての人にとって共通の問題だからだ。原作者のサナ・アマナットは、『ミズ・マーベル』という作品について以下のように語っている。

「イスラムがカマラのアイデンティティの一部なのはもちろんですが、この本は宗教入門ではないし、ことさらにイスラムを勧めているわけでもありません。貼られたレッテルにどう立ち向かうか、それによってどう自己を確立させるかという物語なんです。形はどうあれ誰もが直面する闘いであって、ムスリムのカマラだけの問題ではありません。宗教はカマラが自分を認識する多くの側面のうちの一つに過ぎません」(※1)

イマン・ヴェラーニの圧倒的な魅力

 どれだけ感動的なルーツの物語を描いたとしても、カマラという魅力的な主人公、そしてそれを演じたのがイマン・ヴェラーニでなければ、正直本シリーズの評価は一気に変わってしまうだろう。ヴェラーニは若き頃のトム・ホランドと同じように、自分がコスプレをしていた「ミズ・マーベル」に選ばれた存在。第1話のアベンジャーズコンでのカマラのように、ヴェラーニ自身もマーベルの大ファンだった。この役へのオーディションも、俳優になりたいとかではなく「マーベルの人に会いたかっただけ」という感覚で挑んでいるところが、もはやすでにカマラだ。役をゲットした日は高校生活の最終日ということで、ケヴィン・ファイギを含むマーベル・スタジオの面々からのZoom連絡を携帯で出て、結果を聞いて大喜びする彼女の動画が公開されている。

 製作陣もメイキングで「イマンはカマラそのもの」と口を揃えて言うように、本作での彼女の演技はあまりにも自然すぎる。それは俳優として新人のヴェラーニだからこそ出せる初々しさでもあるが、ナチュラルボディでチャーミングな笑顔、彼女の持つあらゆる魅力が全て“自然”だから発揮できたものだ。パキスターニの女の子が自己投影できるヒーローとして生み出されたミズ・マーベルという存在、カマラという等身大な存在を見事に体現したヴェラーニ。第1話でマーベルオタクな主人公っぷりを見せてくれた瞬間から、彼女はパキスタン系の視聴者のみならず、ドラマシリーズを追うマーベルファン全員にとっての「私たち側の人間」になってくれた。だからこんなにも、彼女を応援したい気持ちが溢れ、それがドラマやカマラの冒険への愛着につながったのではないだろうか。

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