『ミズ・マーベル』は何を成し遂げたのか ムスリムカルチャーと新たなMCUへの入り口に
エキサイティングと不安が同時に押し寄せる最終話の展開
ただ、『ミズ・マーベル』というドラマシリーズ自体が他のMCUと比べて遥かに上回る出来だったかというと、少し違う。今回のヴィランがダメージ・コントロール局というパンチの弱さもあるが、ここで重要なのはあくまでカマラが守りたい人たち(ムスリムコミュニティ)にとって、何かあればすぐにモスクを踏み荒らして“犯人探し”をするような彼ら(政府関係者)が“ヴィラン”である、という主張なのだ。最終話で再びモスクにやってきた彼らに「神が私のそばにいなくても、私が神のそばに。神はいつでも正しいのだから」という言葉をシャイク(ライス・ナクリ)がディーヴァー捜査官(アリシア・ライナー)に投げかけるのが印象的である。それはリンカーンの言葉であり、コーランからの引用だと勘違いした彼女は、カルチャーや歴史を重んじるムスリムからすると、「アメリカ人は自国に対して無教養だ」という皮肉の体現者として描かれたのだ。
ダメージ・コントロール局は子供への暴力も厭わない。宇宙人など地球的規模での悪ではなく、住民や地域にとっての悪というミクロな話を扱っていることを含め、他作品と比べるとスケールはやや小さいのだ。だからこそパーソナルな物語を描けたという点では高く評価したい。
ただ、それにしてはジンことクランデスティン、別次元のヌール(光)・ディメンションが我々の世界を侵略するなど、かなりスケールの高い問題が浮上しているのだ。加えて、最終話ではカマラがミュータントである可能性も示唆された。この『X-MEN』への布石となる設定は、本格的なMCUと『X-MEN』の合流が望めそうという意味では喜ばしいが、それ以上に「本当にそんな設定にして大丈夫なの?」という不安と戸惑いが拭えない。
もともとカマラの能力や、その正体がコミックとは違うオリジナル路線(コミックでは彼女はインヒューマン)だったのに、そこにミュータントを被せるとさらにややこしいことになってしまう気がしてならない。なぜなら、そもそもMCUの世界でミュータントを扱うのはすごく難しいことだから。彼らは思春期に遺伝子が突然変異する存在で、これまでMCUの世界ではそういったミューテーションが若い世代に起きている気配が一切なかった。それもそのはずで、MCUの世界はこれまでアース199999と分類されていたのに対し、映画『X-MEN』のユニバースはアース10005という別世界なのだ。しかし、マルチバースがフェーズ4で取り沙汰されたり、最初のミュータントと言われるアポカリプスが誕生した“古代エジプト”がすでに『ムーンナイト』で扱われたりと、何とかしようと思えばできそうな気配はある。しかしそうなった場合、原作コミックファンからの作品の評価はどうなっていくのだろう。
『ミズ・マーベル』が単体作品としては非常に楽しめただけに、実は他作品との重要なつながりがめちゃくちゃある作品になってしまったことで、今後素直に楽しめるようになるのか、一抹の不安を感じてしまう。そういった意味で、フェーズ4を以てして改めてマーベルは混沌の道への歩みを強めたように思える。
参照
※https://www.nytimes.com/2013/11/06/books/marvel-comics-introducing-a-muslim-girl-superhero.html
■配信情報
『ミズ・マーベル』
ディズニープラスにて独占配信中
監督:アディル・エル・アルビ、ビラル・ファラー、シャルミーン・ウベード=チナーイ、ミーラ・メノン
脚本:ビシャ・K・アリ
出演:イマン・ヴェラーニ、マット・リンツ、アラミス・ナイト
(c)2022 Marvel